4.2000万人の犠牲の上に2000万部の大ベストセラー

日清戦争での日本軍の第一撃は1894年(明治27年)7月25日、朝鮮の仁川(インチョン)沖合いで清国海軍と交戦した、豊島(ブンド)沖海戦からと日本人は歴史教育で教えられている。
ところが、
日清戦争のとき日本軍の実弾発射第一撃は、なんと!朝鮮の首都、ソウルの王宮に対してでした。
日本軍によるソウルの景福宮(キョンポックン)の占領から日清戦争は始まったのです。
日本軍は清国軍と砲火を交える前に、朝鮮の王宮を占領し、国王を事実上、虜にしたのです。
豊島沖海戦の二日前、7月23日の未明のことでした。
宣戦布告もしていない朝鮮、しかも「独立を守る」といっている当の朝鮮の王宮を占領して、国王を虜にするなんて!どうして?と思われるでしょう。
中塚明氏は同著で述べられ、更に続けられる。
理由は、「独立を守る」だけでは十分に清国と戦う名分が立たない、「清国軍を朝鮮から追い出してくれ」という朝鮮国王の公式文書を手に入れることによって、日本軍が清国軍を攻撃するたてまえを手に入れる、しかし、朝鮮国王が同調するはずがない、それなら手荒なやり方ではあるが、王宮を占領して、しぶる国王を事実上捕虜にしてでも、清国軍攻撃の「公式の要請文」を入手する。同時に、日本軍がソウルから南下して清国軍と戦っている間、ソウルの安全を確保するために、ソウル城内の朝鮮軍施設を全部占領し、城内から朝鮮兵を一掃する、また朝鮮政府の命令で朝鮮人人馬の徴発をしやすくする―そんなことが目的でおこなわれたのがこの朝鮮王宮占領とソウルの完全制圧です。
先に、
司馬遼太郎は『坂の上の雲』で、日清戦争は「清国や朝鮮を領有しようとしておこしたものではなく、多分に受身であった」と書いています。
日清戦争当時、宣戦の詔勅をはじめ日本政府が内外に公言した戦争目的と同じことを司馬遼太郎もいっています。

まさに、
司馬遼太郎は当時の日本政府の詐称をそのまま主張しているだけのことだけで、「坂の上の雲」は2000万部という大ベストセラーになったわけだ。
なんと、
朝鮮・中国をはじめアジア・太平洋の地域で、2000万人以上の人びとの命を奪った反対給付の2000万部の大ベストセラーとなり、国民的大作家となったわけだ。