20.司馬史観

日本の公式歴史書が「日本書紀」であるなら、中国の公式歴史書は「史記」であり、その作者は司馬遷である。
司馬遼太郎はペン・ネームであり、本名は福田定一、ペン・ネームの由来は言うまでもなく司馬遷から取ったものであるが、「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ているらしい。
逆に言えば、
「司馬遷に匹敵する日本の歴史家」と言っているようなものだ。
そうでないと「司馬」などといった大それた文字を取るはずがない。
産経新聞の記者時代の同僚だった松見みどり(後の福田みどり)と再婚、彼のユニークな文体の原稿の推敲・校正はすべて夫人のみどり氏が担当していたと言われる。
1962年(昭和37年)より『竜馬がゆく』『燃えよ剣』、1963年(昭和38年)より『国盗り物語』を連載し、歴史小説家として旺盛な活動を本格化させた。
この辺りの作品より、作者自ら、作中で随筆風に折込み解説する手法が完成し、「国民的作家」の名が定着し始めるようになり、歴史を俯瞰して一つの物語と見る「司馬史観」と呼ばれる独自の歴史観を築いて人気を博した。
1996年(平成8年)1月、「街道をゆく 濃尾参州記」の取材を終え、連載中の2月10日深夜に吐血して倒れ、12日の午後8時50分、腹部大動脈瘤破裂のため死去し、72歳だった。
同日は「菜の花忌」と呼ばれている。
死去した国立大阪病院は、奇しくも『花神』で書いた大村益次郎が死去した場所であった。
親族・関係者による密葬を経て、3月10日に大阪市内のホテルで「司馬遼太郎さんを送る会」が行われ、約3,000人が参列した。
そして、
日本政府から従三位を追賜された。
翌年に司馬遼太郎記念財団が発足し、司馬遼太郎賞が創設された。
2001年(平成13年)に、東大阪市の自宅隣に司馬遼太郎記念館が開館。
司馬遼太郎記念室がある姫路文学館では毎年8月7日の生誕日に、ゆかりのゲストを迎えて「司馬遼太郎メモリアル・デー」を開催している。
また、NHK大河ドラマ原作となった作品数は最も多く、「21世紀スペシャル大河ドラマ」と称する「坂の上の雲」を含めると7作品である。
まさに、
日本の国民的作家の歴史観こそ「司馬史観」なのである。