19.一貫して朝鮮敵視政策をとった明治の日本

(『司馬遼太郎の歴史観』より抜粋)もいよいよ終わりに近づいてきた。
そこで明治日本以来、現代日本に至るまで、日本政府のみならず、我々ひとり一人の日本人がなぜかくも徹底して育んできた(?)朝鮮蔑視の決定的証拠で締めよう。
しかし、それでも、朝鮮観については、明治以来つくられてきた見方が根底から変わったとはいえません。
日本の国家政策としてすすめられてきた朝鮮敵視政策が、政治・経済・文化全般にわたって、それほど深く広く日本人の間に浸透していたということです。一例をあげます。
1883年(明治16年)、日本ではじめて人物像の入った紙幣が発行されました。その人物が「神功皇后」だったことはきわめて象徴的なことです。「神功皇后」といえば、神のお告げで朝鮮を攻め、新羅を降伏させ、百済や高句麗を服従させたといういわゆる「三韓征伐」の立役者、英雄的な女性として神話上に出てくる人物です。
日常使う紙幣に、こういう図柄を最初に採用したのは、天皇の政治が、朝鮮をどうみていたか、これからどうしようとしていたか、それを象徴的に物語るものです。大昔から日本は朝鮮を支配していたかのように、政府の政策によってそうした意識を日本人が日常的に持ち続けるようにしむけたのが、この人物像第一号の紙幣登場の意味だと私は考えています。
錦絵から見て幕末・明治の日本人の朝鮮観を明らかににした姜徳相さん(滋賀県立大学名誉教授)は、つぎのように述べています。
「通常一国の紙幣の肖像は国家の顔であり、その国のイメージを担っている。「記紀」の時代への復古をめざした明治政府が、その最初の紙幣に神功皇后を選択したのは朝鮮侵略を行うという国家意志の表明である。
武内宿弥(たけのうちゅのすくね)が韓国併合直後の朝鮮銀行券の一円、五円、十円、百円の肖像に選ばれ、その肖像が1945年の解放の日まで変わらなかったことは、史実を倒錯させた一種のシオニズムに朝鮮支配の思想的根拠をおいたからとみられる」(『司馬遼太郎の歴史観』より抜粋)