14.明治の「征韓論」検証(その一)

ここでは第二の問題を先に見ておきます。
幕末からの意見としてあった「征韓論」が、明治になって政府の政策として実行されるようになってきます。ところが、明治のはじめごろには、この「征韓論」を真っ向から批判する意見もありました。
田山正中という人の意見がそれです。「征韓論」を五つの点で批判しています。
私は日本の近代史の中でこれだけ系統的に「征韓論」、「朝鮮征服論」を批判した文章を知りません。田山正中という人がどこに住んでいたのか、どんな経歴の人だったのか、前々から知りたいと思っていますが、まだわかりません。どういう状況のもとで、この文章を書いたのかがわかれば、この批判の意味ももっと鮮明になると思うのですが、いまのところ残念ながらよくわかっていません。今後の課題にしたいと思います。
しかし、これだけの「朝鮮征服論」を展開したのですから、相当の知識と見識をもっていた人に違いありません。
とくに、批判の第二の論点は見事です。その部分をわかりやすい言葉になおして紹介しましょう。
「第二、日本が朝鮮を自分のものとし、そこを足場にしてロシアを防ごうというものがある。しかしこれは「戦の道」(戦争の仕方)を知らないもののいうことだ。日本が朝鮮を攻略することはあるいはできるかもしれない。しかしたとえそうできたところで、朝鮮の人心がわずかの時日でどうして日本になびき従うことになるだろうか。
そんなことはありえない。むしろ朝鮮を占領した日本は、まわりは全部敵という状態になる。それなのにさらにまた他の強敵(この場合はロシア)を防ごうとしても、そんなことはできることではない」(『司馬遼太郎の歴史観』より抜粋)