1.明治維新は欺瞞

今から14年前(2000年)に執筆活動をはじめた際、当時、ソニーインターテインメントの常務取締役だった方と東京日比谷にある帝国ホテルロビーのコーヒーショップでお話する機会があった。
処女作三作品の一つ「ルノーの妹」という小説を読んでいただき、映画化の話でお会いした時のことだ。
処女作三作品の一つ「Nobunaga」の話題から、歴史の話になった。
「司馬史観なんて欺瞞の極みですよ・・・」
司馬遼太郎、NHKの大河ドラマの原作者として頻繁に出てくる名前で、司馬遼太郎=大作家先生と思っていただけに、吐き棄てるようなその方の口調に却って怪訝な想いをしたことが思い出される。
あの時以来、司馬遼太郎原作のNHK大河ドラマを、知的に検証してみる気になって意識的にNHK大河ドラマを鑑賞してきた。
1968年の「竜馬がゆく」からはじまり、1973年の「国盗り物語」、1977年「花神」、1990年「翔ぶが如く」、1998年「徳川慶喜」、2006年「功名が辻」、原作ではないが1968年の「竜馬がゆく」のリメイク版として2010年「竜馬伝」も含めば1963年(昭和38年)から2013年(平成25年)までの52作品中7作品と他の作家を圧倒している点においても、日本の大作家先生であることは間違いない。
ただ1968年の「竜馬がゆく」と2010年の「竜馬伝」を洞察鏡で相射させてみると、共鳴するよりも反発する面の方が製作者の意図とは離れた部分で多く露呈していることを発見した。
2010年の「竜馬伝」での坂本竜馬像が過剰な純粋性を発揮するたびに、却ってそこまで表現すると、眉に唾をつけてみたくなった。
そして、「坂の上の雲」である。
詩人・正岡子規を本来なら表看板にするところを、秋山好古、秋山真之の裏方的役割を以って、日露戦争までの日本を礼賛しまくったのである。
逆に言えば、日露戦争以降の日本の体たらくが1945年の敗戦という悲劇を呼び込んだというわけである。
司馬遼太郎の主張は、太平洋戦争の悲劇は日露戦争以後の日本陸軍の暴走にあって、日露戦争までの日本は、まるで少年のような純粋な精神で生き、そして、欧米列強に唯一対抗し得る突出したアジアの一国家であったというわけだ。
「坂の上の雲」が産経新聞の夕刊に連載されはじめた1968年4月22日の一か月足らず前、「日清戦争の研究」という作品を中塚明氏が出版された。
それからおよそ40年後の2009年8月1日、同氏が「司馬遼太郎の歴史観」(サブタイトル:その「朝鮮観」と「明治栄光論」を問う)を80歳の高齢でありながら出版された。
よほど忸怩たる思いからのものであろう。
先ずは、同氏の「司馬遼太郎の歴史観」から一部抜粋引用することからはじめてみよう。
「司馬遼太郎は「栄光の明治」として「坂の上の雲」を書きました。しかし、この「明治の栄光」は、日清戦争から数えてわずか50年、日露戦争からではわずか40年の短い歳月のあと、朝鮮・中国をはじめアジア・太平洋の地域で、2000万人以上の人びとの命を奪い、日本人も310万人もの人たちが戦火に死すという、1945年の惨憺たる日本の敗北に行き着きました。
戦後日本の政界・思想界の主潮流は、この惨憺たる敗北は「明治の遺産ではなく、明治への背信の結果である」と言い続けてきました。司馬遼太郎の「坂の上の雲」もその潮流の中にあります。
それは本当か?ここを問い直すことが、「共生と協力」がキーワードとなった人類史の現段階で、私たち日本人が、世界に責任をはたしつつ生きていく上での「勘どころ」ではありませんか。
日本の「明治の栄光」は、隣国、朝鮮の犠牲の上になりたっていたことを、私はこの本で一貫して述べてきました。
もう一度、考えてみてください。「他民族、しかも長い歴史と高度な文化をもっている朝鮮」を圧迫し、その民族主権をうばって、それを「栄光」というなら、そんな「栄光」が長持ちするはずはないではありませんか。あたりまえのことです。(頁No.204)