(その九)複雑怪奇な猫

「うちが、まるでエゴの塊のような猫どすか?」
鹿ヶ谷哲夫の視線を受け止めた藤堂頼賢が口を開こうとした矢先、倫子が話の先に水を止した。
「まあ、話の先を聞きなさい!」
惻隠の情が憐れみの情に変わった台詞だ。
花街の女は、惻隠の情には脆いが、憐れみの情には頑だから、鹿ヶ谷哲夫の制止の言葉が受容できない。
「メス猫のたとえだけは、止めとくれやす!」
二人のやり取りを聞いていた藤堂頼賢は、倫子と恵美子の違いを、その時、明確に知った。
それは歳の差所以のものには違いないのだが、それだけではなかった。
持って生まれたものの差所以のものでもあったのだ。
同じ両親の下で生まれ育った兄弟姉妹でも、まるで正反対の性格を持っている所以がここにある。
稚拙な科学が生んだDNAの概念など、まるで正反対の性格を持っている兄弟姉妹の存在が雲散霧消させてしまう。
「まあ、話の先を聞きなさい!」
繰り返す鹿ヶ谷哲夫の言葉に押されて、倫子は黙ってしまった。
「森の中で道に迷った飼い主に対して、捨てられた猫は飼い主の前に出て、前に拡がる迷路を何の躊躇もなく歩きだし、いとも簡単に森を抜け出した。
そして、森の出口の処まで飼い主を送り出した猫は、再び、森の奥に戻っていったのだ・・・」
エゴとはかくも複雑怪奇な生きものだ。
女の性を全身に背負って生きてきた倫子ゆえに、自我を滅することは至難の業であったが、その瞬間(とき)、ようやく、その縁を得たのである。