(その九)倭建命

嬢女の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや

古事記の歌だ。
古事記では、ヤマトタケルノミコトは倭建命と書かれている。
日本書紀では、ヤマトタケルノミコトは日本武尊と書かれている。
古事記に描かれた倭建命(ヤマトタケルノミコト)ほど、感動的、躍動的に描かれている人物は類を見ない。
その生涯は一大叙事詩であり、アキレスとヘクトールの戦いを描いている「イーリアス」に匹敵すると言っても過言ではない。
倭建命は景行天皇の二男として生まれ、名を小碓(オウス)と言った。
彼は、ほんの些細なことで兄の大碓(オオウス)をねじり殺してしまう。
“こんな乱暴な男を京に置いておくのは危険だ!”
そう思った父の天皇は、彼に西の方、熊襲征伐を命じる。
西国に渡った小碓(オウス)は、女人にと姿を変え、熊襲兄弟の新宮の宴(にいみやのうたげ)の席にもぐり込み、隙をみて、地の首長である熊襲の兄弟を殺す。
死ぬ間際、弟の熊襲健(クマソタケル)は、
“あなたのような健き人がいたとは。これからは『倭建』と名乗るがいいでしょう”と言う。
以後、彼は『倭建』と呼ばれるようになるのである。
西征から帰京した倭建を待っていたのは、天皇の次の言葉であった。
“東の方十一道の、荒ぶる神々、まつろわぬ人たちを征伐してこい!”
休む間もなく、また、戦である。
倭建は遠征の途中、伊勢神宮に叔母の倭姫(ヤマトヒメ)をたずね、泣きながら言った。
“父は、わたしに『死ね』と言っているのでしょうか?”
倭姫(ヤマトヒメ)はやさしく彼をなぐさめ、護身にと、草薙の剣と火打ち石とを与えた。
この二つの神器のおかげで、倭建は何度か命拾いをするが、海路を進んでいるとき、愛妃の弟橘姫(オトタチバナヒメ)を失ってしまうのである。
嵐のさなか、弟橘姫(オトタチバナヒメ)は自分の命を捧げますと言うと、海中の人となってしまう。
海はなぎ、姫の髪に挿していた櫛が海浜に流れついてきた。
それを見た倭建は、涙を流して絶泣した。
“あづまはや!”
いくさの帰路、往路にも寄り共寝を誓った美夜受媛(ミヤズヒメ)の所に寄り、一夜を共にするが、このとき彼女は月の日だった。
翌日、衣の汚れたまま、しかも、草薙の剣を持たずに倭建は無謀にも土地の神を退治してくると言うと、伊吹山に登るが、神の怒りにふれた倭建は半死半生の身となり、必死になつかしい故郷に帰ろうとするが、能煩野(のぼの)という地まで来たところでついに命を落す。
そのときの辞世の句だ。

嬢女の 床の辺に 我が置きし つるぎの太刀 その太刀はや