(その九)西から東へ

日本の歴史の中で、天皇家に弓を引いた人物が二人いる。
平将門と足利義満だが、足利義満は当時の後円融天皇とは従兄弟関係にあって、いわば、内輪揉めに近い。
一方、平将門は自ら開墾した坂東の地(関東地方)をも、京の朝廷が支配することに反逆したのであるから、まさに、謀反人である。
足利義満はタブー視された人物であるのに対して、平将門はそうではないところが、日本という国が、魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿である所以だ。
まさに、跳梁跋扈する国である。
現在の東京大手町の一角に平将門の塚がある。
三井物産本社ビルの傍だ。
江戸っ子風の老人の大抵は、この塚の前で一礼する。
この塚の前で一礼すると、皇居に尻を向けることになる。
この塚が正式に祀られるようになったのは、明治維新後であることが、多くのことを示唆している。
北朝方の天皇が四代住居する皇居に、南朝方の楠木正成が祀られている矛盾と酷似しているわけだが、皇居初代明治天皇に対する大いなる疑惑が、明治維新後150年経過した頃から、沸々と湧き出したのである。
その引き金を引いたのが、鴨川をどりであったことは、実に、象徴的である。
平将門は、平家の一門ではなく、単なる坂東武者であり、遡れば、貴族でも武士でもなく百姓である。
平家は桓武平氏と呼ばれるように、平城京から長岡京を経て平安京に遷都した桓武天皇のご落胤一族である。
石清水八幡宮を建造した清和天皇のご落胤一族である源氏と相対していることから、紅白の源平合戦が繰り広げられたが、元来、平家は西日本に拠点を置き、源氏は東日本に拠点を置く一族だ。
源氏が鎌倉に幕府を開いた所以である。
その関東の地に、平将門が出現して、天皇家に弓を引いた。
日本という国が、東西の国である所以がここにある。
「トザイ、トーザイ!」である。
アメリカという国が、東から西への国であるのに対して、日本は西から東への国なのである。
神武東征か、神武東遷か。
いずれにせよ、西から東なのである。
その時、日本という国は国替わりするのだ。