(その九)一般大衆という化け物

現代六波羅道は、多くのことを示唆している。
“釈迦入滅のとき、白色に変じたという沙羅双樹の花の色は、恰も盛者必衰の道理を表しているようである。
驕り高ぶった人間も、いつまでも驕りに耽っていることはできない。
それは恰も春の夜の夢のように儚いものである。
勇猛な者でさえついには滅びてしまうものだ。
それは恰も風の前の塵のようなものである。
遠く異国の古い諺にもあるようだ。
秦の趙高、漢の王莽、梁の朱昇 唐の禄山、
これらの人々は皆、旧主先皇の政治に従わず快楽を極め、他人の諫言を真剣に聞こうとせず、このままでは天下が乱れてしまうことを予測できなかった。
また、
嘆き、悲しみ、憂い、戸惑う民衆を顧みなかったために、末永く栄華を続けることができなかったのである。
そして、いつしか滅びてしまった人たちである。
近く我が国においても、
承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、いずれの人物も驕り高ぶる心情、猛悪そのものの心情にて、やはり、滅びてしまったのである。
そしてごく最近では、六波羅の入道、前の太政大臣、朝臣清盛公と申された人がおられたが、この方の驕り高ぶり横暴さを伝聞するに、うまく伝える言葉すら見つからないほどのものであった”

この歌を吟じた琵琶法師とは実在した人物ではなく、要するに作り話に過ぎない。
では一体誰がつくったのか?
当時の朝廷であったことは疑う余地もない。
一般大衆という化け物の正体が垣間見える。