(その九)鼎のふたり

「藤堂はん、お客さんどすえ!」
澄江が部屋の外から声を掛けた。
「一体誰ですか?」
恵美子以外にこの場所を知っている者はいないのに、一体誰が来るというのか、解せないでいた藤堂頼賢は、失礼を承知して、強い猜疑の響きで、澄江に返した。
澄江は不躾に障子を開いて、藤堂頼賢を促した。
「恵美子はんのお母はんどっせ!」
倫子が藤堂頼賢を訪ねて来たというのである。
泉涌寺で神隠しにあって以降、藤堂頼賢は恵美子と電話で話をしただけで、一度も逢っていない、その上に、フランクフルトに行くと言ったきり、二人の間の線は完全に切れていたはずなのに、恵美子の母親が、自分を訪ねて来たのだから、解せないのも当然だ。
こういう時の藤堂頼賢の行動は素早い。
「わたしが玄関まで出向きます」
襟を正した口調に変え、澄江を横目にしながら、藤堂頼賢は部屋を出て行ったが、その後姿に、漠然ながら、澄江は嫌な予感がした。
後を追いかけながら、澄江は背後から、藤堂頼賢に言った。
「玄関にはおられまへん!」
「お父はんとお会いになってはりますえ!」
澄江の言葉にさすがの藤堂頼賢も吃驚したようだ。
鹿ヶ谷哲夫と花若太夫が会っているというのである。
『絶対に火花が散るはずや!』
さすがの藤堂頼賢も次の行動に迷った。
廊下で立ち止っていると、鹿ヶ谷哲夫が部屋のドアを開けて、廊下越しに顔を覗かせて、藤堂頼賢に声を掛けてきた。
「藤堂君、わたしの部屋にきたまえ!」
鼎のふたり目が行動に移ることで、世界は大きなうねりに入った。
気強い藤堂頼賢でも、さすがに緊張した。
「はい、わかりました」
言葉では受け入れているのだが、何分、体が動かない。
『こんな経験は今までにない!』
藤堂頼賢の脳裏にはじめて不安という代物が巣食い始めたのだが、本人よりも、恵美子がそのことに逸早く察したのである。