(その八)花の輝き

モンマルトルとモンパルナスは、世界の芸術家たちの聖地でもある。
現在ではモンマルトルに集結する殆どの芸術家たちも、嘗ては、モンパルナスがその役割を果たしていたが、1929年の世界大恐慌によって、その役割はモンマルトルに取って替わられた。
アメリカに端を発した大恐慌はフランスに及び、1930年には美術市場は暴落、同年「モンパルナスの王子」と呼ばれたジュール・パスキンが自殺して一つの時代の終わりを感じさせた。
多くの芸術家たちは一旦パリを離れ、アメリカやメキシコ、アジアなどに長期の逃避旅行をしている。
一旦はドイツから退廃芸術狩りを逃れた芸術家がパリに避難したものの、第二次世界大戦の開始により多くの芸術家がアメリカ合衆国などに逃げ、とりわけ1940年5月から6月のナチス・ドイツのフランス侵攻とパリ占領をもって芸術家コミュニティは解体した。
そして戦後、美術の中心地を目指す各国からの芸術家の多くはニューヨークへ行き、パリの芸術家コミュニティはサンジェルマン・デ・プレへ移り、モンパルナスがその輝きを取り戻すことはなかった。
世界大恐慌の波が襲ってきたにしろ、なぜ、世界の芸術家たちの聖地であったモンパルナスが坂を転げ落ちたのか。
それは、狂乱の時代があったからだ。
第一次大戦でモンパルナスは徴兵や芸術家たちの帰国、戦場からの避難民の殺到で混乱するが、戦後は開放感と、神話化された芸術の聖地へ行きたいという世界中の若者の殺到で、戦前の貧困振りとは全く異なる風景が出現した。
いわゆる狂乱の時代である。
1920年代のモンパルナスは毎日毎晩が華やかな祝祭で、酒や麻薬による乱痴気騒ぎが繰り返された。
狂騒と喪失感が混ざり合った当時の雰囲気を、アーネスト・ヘミングウェーは後に遺作『移動祝祭日』で、“もし君が幸いにもパリで青春を過ごしたなら、残りの人生をどこで過ごしたとしてもパリは君についてくる。なぜなら、パリは移動祝祭日だから”と述べている。
マーク・シャガールはモンパルナスに行った理由をこう説明した。
“わたしは遠い国で耳にしていた物事を、自分のこの目で見ることにあこがれた。この眼の革命、この色の回転、想像上の線の流れの中で自発的に鋭く互いに合体してゆく。これはわたしの故郷の町では見ることができないものだった。あのとき芸術の太陽はパリだけを照らしていたのだ”