(その八)理屈の世界

藤堂頼賢と畑恵美子は、潜在能力を100%発揮できる人間のモデルとして、大袈裟に言えば選ばれたのである。
選民思想の誕生は、この選ばれたる人間の存在に端を発する。
最古の宗教の一つであるユダヤ教が選民思想である所以だ。
ヘブライ人は神から選ばれたる民族だと信じ込んでいる。
まさに、選民思想だが、しょせんは、人間が選んだものに過ぎず、似非選民に他ならない。
神とは人間の造作物に過ぎない。
なぜなら、自然社会には神の存在など一切認められていないからである。
それでは、一体誰が選ぶのか?
誰(Who)ではない。
何(Which)である。
それでは、一体何が選ぶのか?
宇宙の法則が選ぶのである。
陣内や西田が目差す学問は、誰(Who)の世界だ。
誰(Who's Who)の世界はしょせん、潜在能力30%までの世界である。
相対性理論を編み出したアルバート・アインシュタインのIQが200近くあったと喧伝されているが、IQが200の人間の潜在能力発揮率が精々30%なのだ。
しかも、アルバート・アインシュタインのIQが200近くあったと喧伝されている話も怪しい。
誰かが捏造したものに違いない。
まさに、神を捏造した連中に違いない。
陣内孝雄や西田幾多郎といった、いわゆる、科学者は、まさに似非人種の代表に他ならない。
宗教と科学が同じ穴の狢である証明に他ならない。
21歳までの青年に世界、つまり、人間社会は掛かっている。
藤堂頼賢と畑恵美子が二十歳の成人式の日に出逢ったのが象徴している。
彼らは、両親の思惑を大きく超えた処で野性のままで育った。
野性を失わず成長した子供の能力は、野性を奪われて育った大人の最高峰である70歳の聖人を遥かに凌ぐ洞察力を具えている。
まさに、潜在能力30%発揮と潜在能力100%発揮の差だ。
文明社会は潜在能力30%発揮までの世界であり、大半は潜在能力20%以下しか発揮できない連中、いわゆる、凡人で占められているから、時系列的には坂を転げ落ちる運命にある。
20世紀という世紀は人類が坂を転げ落ちる世紀に他ならない。
ロシア革命、第一次世界大戦、世界大恐慌、第二次世界大戦、冷戦、そして、マネー戦争と明け暮れた世紀だ。
その幕を閉めたのが、野性を失わず成長した子供が二十歳になった時だったのである。
理屈の世界のドラマの幕は降ろされた。