(その八)1+1が3の世界

実存の世界に対する映像の世界は普遍の世界である。
だから、1+1が3にも、4にも、5にも、無限にもなり得るのだ。
一つの実存には、無数の映像が映る。
もう一つの実存にも、無数の映像が映る。
だが、映った映像は普遍だ。
だから、いわゆる現実の世界は絶対に1+1が2になるのではない。
1は飽くまで1だ。
リスボンに向かっていた青年が一つの実存なら、パリに向かっている日本人女性が無数の映像の一つになるし、その逆もある。
パリに向かっている日本人女性が一つの実存なら、リスボンに向かっている青年が無数の映像の一つになるし、その逆もある。
同次元と異次元で現象は大きく変わる。
藤堂頼賢は明らかに一つの実存だった。
畑恵美子は藤堂頼賢の無数の映像の一つに過ぎない。
リスボンに向かっている青年が藤堂頼賢という一つの実存なら、パリに向かっている日本人女性が畑恵美子という111111111111無数の映像の一つに過ぎない。
だから、二人の心も肉体も惹き合うのだ。
陣内孝雄や西田幾多郎といった頭でっかちの理屈屋には、23歳の青年男女の心など推し測れる術もない。
地球に67億もの人間が実存すると、そのために生じる映像は混乱状態に陥ることは間違いない。
人間に限ったことではないが、ある種が大量発生すると、その種は間違いなく混乱状態に陥る。
現在の人類がその状況下にあると言っても過言ではない。
1970年に37億、1980年に45億になった人間の数が232=4294967296、つまり42億9496万7296人を超えた時、つまり、1970年代に、人類の大量発生が確定したのである。
1970年代という10年は、黄金の10年でもあったが、暗闇の10年でもあった。
人間の数が232=4294967296、つまり42億9496万7296人を超えたのが、1970年代であったためである。
爾来、人類は混乱状態の中で進化し続けている。
敢えて言うなら、退化し続けていると言った方が適切である。
特に、2000年、つまり、二十一世紀に入ってから、人類は明らかに暴走しはじめた。
退化の暴走は絶滅に繋がる。
現代人の表情は明らかに頽廃モードに突入している。
残された切り札は、1+1が2になるワンパターンから脱するしかないのだが、1+1が3なのか、4なのか 無限大なのか、和によって大きく将来性を予見できるからだ。
何もせずに、好き放題にしておればいいのだ。
先ず、一つ目の『しまった!』がいわゆる現実化した。
一つの実存と、その他の映像が絡み合った、まさに、映像の世界なのだ。