(その八)理屈を超えた世界

「わたしたちは二人ではなくて三人なのをご承知ですか?」
少々荒唐無稽な話でも吃驚するような陣内と西田ではなかったが、男の方からの唐突な問いかけに戸惑って、咄嗟の返事に詰まったのである。
理屈ばかりを追求してきた陣内と西田である。
陣内は形而下学の世界を、西田は形而上学の世界と、正反対の世界に身を置いていた二人だが、所詮は、理屈だけの世界であった。
所詮は、1+1は2の世界であった。
形而下学の世界を追求してきた陣内は、形而上学の世界を追求してきた西田を必要としていたのと同時に、形而上学の世界を追求してきた西田もまた、形而下学の世界を追求してきた陣内を必要としていたのである。
つまり、1+1は3だったことを、男がいみじくも証明したのである。
さすがの陣内も西田も子供扱いされたことで、自尊心を傷つけられたが、表面的には必死に堪えていた。
彼らの間に数秒のギャップが生じた。
「御者の方も一緒に帰還して同席されているのですね?」
西田幾多郎がまず男の問いかけに答えた。
形而上学の世界を追求してきた人間の方が、形而下学の世界を追及してきた人間よりも理屈っぽいことをまさに証明したのである。
宗教の世界を追求してきた人間の方が、科学の世界を追及してきた人間よりも理屈っぽいことをまさに証明したのである。
陣内は西田の言っていることを理解するのに数秒掛かったのである。
個人レベルでは数秒であっても、人類全体レベルでは数百万年、少なくとも数十万年のギャップがあったことをまさに証明したのであるが、このことに素早く気づいたのは、西田でもなければ、陣内でもなく、23歳の青年男女であった。
「あなたは目で確認されて言っておられるのですか?」
今度は女の方が西田の方に向かって質問をしてきた。
目に見えない世界ばかりを追求してきた西田幾多郎という学者にとって、ありきたりの質問だったはずだが、やはり今度も数秒のギャップが生じた。
答えられなかったのである。
「では、失礼します」
男の方が挨拶をしたと同時に、二人の青年男女は忽然と姿を消した。
陣内孝雄という物理学者、西田幾多郎という哲学者。
当代を代表するインテリが、まだ若い青年男女に子供扱いされたのである。