(その八)正物質と反物質

自己の存在だけが実在するもので、他者はすべて映像に過ぎないのに、自己の存在と他者の存在を同一化している人間は、錯覚の極致状態にいることをまったく自覚していない。
この錯覚こそが、追憶の渦と罠の交錯に他ならない。
この二重の錯覚こそが、追憶の渦の始まりと終わり、追憶の罠の始まりと終わりの交錯による四つの錯覚の総和である。
それを自覚症状のない音痴で喩えることができる。
人間のカテゴリーが大きく四つに分けられる所以がこの点にある。
善人の善人、善人の悪人、悪人の善人、そして、悪人の悪人だ。
希少の人間、つまり、統計学的には3%の人間は、善人の善人、若しくは、悪人の悪人に振り分けられる。
いわゆる支配者である。
大抵の人間、つまり、統計学的には97%の人間は、善人の悪人、若しくは、悪人の善人に組み込まれ、更に、48.5%の善人の悪人と、48.5%の悪人の善人に振り分けられる。
いわゆる、被支配者である。
善人の悪人と悪人の善人とは、やはり、違いがあるのだ。
ひょっとしたら、善人の善人との間の違いより大きいかもしれず、悪人の悪人との間の違いより大きいかもしれない。
錯綜した錯覚ゆえ、自覚症状のない音痴に成り下がるのかもしれない。
反物質の人間が反物質の他の人間を好きになる。
こんなことは宇宙レベルではとうてい不可能なことだ。
正物質の人間が正物質の他の人間を嫌いになる。
こんなことは宇宙レベルではとうてい不可能なことだ。
反物質の人間と正物質の他の人間との間で恋愛感情が誕生するのであり、正物質の人間と反物質の他の人間との間で憎悪感情が発生するのである。
宇宙のいたるところで起こる対消滅現象が、地球の人間社会では恋愛感情、若しくは、憎悪感情になるだけのことだ。
所詮は、対消滅現象に過ぎない。
まさに、男女の性行為におけるクライマックスからオルガスムに至る現象が、正物質と反物質の衝突による自己消滅なのであり、自我意識、すなわち、エゴの消滅なのであり、宗教では悟りと呼んでいるが、科学では対消滅と言う。
悟りとは自己の消滅、つまり、滅私である所以がこの点にある。
恵美子と藤堂頼賢は、はじめて、対消滅の境地に達したのかもしれない。
取りも直さず、恵美子と藤堂頼賢が正物質と反物質の関係であったからこそ、可能だったのだ。
女が金星からやって来た生きもので、男が火星からやって来た生きものだという小説がアメリカでベストセラーになったが、まさに、恵美子と藤堂頼賢がその顕現であったのかもしれない。