(その八)渦と罠の始まり

追憶の渦の始まりは、平安末期から始まった三十三間堂の通し矢競技だ。
三十三間堂という名は通し矢をする長い廊下を象徴している。
長さが三十三間ある廊下の一方の端から、他方の端に向かって矢を射るだけの遠的試合で、標的に当てるのではなく、三十三間ある長い廊下の端から端まで射る力があるかどうかを競う力勝負なのである。
恵美子も二十歳の成人式の日に、三十三間堂の通し矢の行事に参加した。
毎年1月15日に最も近い日曜日に、袴に振袖を通した弓道をたしなむ新成人が、本堂西側の射程60mの射場で矢を射る「大的全国大会」が行われ、彼女もその大会に出場したのである。
通し矢の「大的全国大会」は60m先の標的を矢で射る試合で、女性でも競技可能だが、遠的試合は120mある三十三間廊下の端から端まで飛ばす力勝負で女性には到底無理だ。
しかし、恵美子は男性と混じっての遠的試合を申し入れた。
120mある三十三間廊下の端から端まで飛ばすことが出来たのは、三十三間堂が創建されて以来、後にも先にも源為朝以外にいない。
源為朝は、保元の乱で平清盛と味方同士になって、父源為義と弟たち源氏一門を敵にまわして勝利した源義朝の八男末っ子の弟である。
鎮西八郎為朝という名で有名だが、『吾妻鏡』で「天下無双の弓矢の達者」の剛の武者と謡われた。
恵美子が申し入れた遠的試合で、800年以上の歴史の中で源為朝以来の遠的を見事達成した若者が出現したのである。
その若者の名は藤堂頼賢。
見事遠的に成功した藤堂頼賢の勇姿を傍観していた恵美子は、身も心も震え感動した。
まさしく、追憶の罠の始まりだった。