(その八)ポンティウス(先斗)とはもう一つの臍の意味

“しまった!”はイエス・キリストの言葉だったのである。
イエス・キリストとは実在の人物ではなかった。
支配者に陵辱されてきた奴隷たちの凝縮された想いが言葉になってイエス・キリストという擬人化された存在を造り上げたのである。
その凝縮された言葉こそ“しまった!”であった。
その凝縮された言葉こそ“アーメン!”に他ならなかった。
ところが、“アーメン!”は古代アラム語、つまり、ヘブライ語では“まことに”、“たしかに”という意味であり、後にキリスト教がローマ帝国の国教となった際に“かくあれ”という意味に変わってしまった。
イエス・キリストが十字架に架けられて今わの際に吐いた言葉の最後に“アーメン!”があった。
彼が今わの際に吐いた言葉とは、“エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ、アーメン!”だったのである。
“神よ、神よ、何故あなたはわたしをお見捨てになられたのですか、しまった!”だったのである。
まさに、奴隷たちの叫びに他ならなかった。
支配者たちの支配確立に対する悲痛なる叫びが、エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ、アーメン!”、“神よ、神よ、何故あなたはわたしをお見捨てになられたのですか、しまった!”だったのである。
キリスト教が古代ローマ帝国の国教となった時に、この叫びが変えられてしまったのである。
そして、爾来、奴隷の中の裏切り者の象徴であったパリサイ人律法学者、つまり、ユダヤ教徒たちは、表のキリスト教と裏のキリスト教をつくって、自分たちの裏切り行為をひた隠ししようと務めてきた。
アンティオキア教団が正統キリスト教、つまり、ローマ・バチカンになり、イエルサレム教団が裏キリスト教として東アジアにまで浸透し、中国、日本では景教となっていくのである。
祇園はシオニズムの日本語化された言葉なら、先斗はポンティウスの日本語化された言葉だったのである。
つまり、祇園はローマ・バチカンを意味して、先斗はサンヘドリンを意味しているのである。