(その八)奇跡の合図

リスボンに向かっていた青年が、タイム・トンネルを通って藤堂頼賢に接触する、その合図が“しまった!”だった。
正物質と反物質とがはじめて出逢う瞬間(とき)だ。
パリに向かっている女性が、タイム・トンネルを通って恵美子に接触する、その合図が“しまった!”だった。
正物質と反物質とがはじめて出逢う瞬間(とき)だ。
正物質と反物質が出逢う瞬間(とき)こそ『今、ここ』である。
正物質だけで存在している間(あいだ)は未来に繋がっている現在である。
反物質だけで存在している間(あいだ)は過去に繋がっている現在である。
まさに、
太陽が正物質であり、月が反物質であったわけだ。
そして、
地球が『今、ここ』なのである。
実在しているのは地球だけで、太陽も月もしょせんは映像だった。
この奇跡が起こるのは12000年に一回だけだ。
その奇跡がいま起こったのである。
フォトンベルトとは物体ではなく、物質だったのである。
フォトンベルトとは精神ではなく、物質だったのである。
アインシュタインはそのことを理解していなかったから、相対性理論といった人間を錯覚させるものを編み出したのであろう。
ハイゼンベルグはそのことを理解していたから、不確定性原理で以って人間に警鐘を鳴らしたのであろう。
光が粒子でもあり波動でもある。
まさに、
これが真理だった。
運動しているものの位置は確定できないし、静止しているものの運動量(速度)もまた確定できない。
だから、
光は粒子でもあり波動でもある。
そうでないと、光線がガラスの窓を通過するのに、カーテンの窓を通過できない理由が説明できない。
カール・ヤスパースが論破した「軸の時代」の根拠がこれでやっと説明がつくのである。
それを人類はこれまで神の奇跡と信じてきた。
その結果、
宗教がずっと巾を利かしてきたのである。
その結果、
科学がずっと巾を利かしてきたのである。
いま、その巾が崩れようとしているのである。
人間はこんな奇跡がいつも起こっていることに気づいていない、まさに、精神が眠っている証明である。
『今、ここ』という実存と、過去に繋がっている現在、若しくは、未来に繋がっている現在という映像とを同じだと錯覚しているのだから、悩みや四苦八苦、挙句の果ての、死の恐怖に苛まれるのは当然だ。
わかっていることはわかっていないのである。
わかっていないことがわかっているのである。
二人の人間の正物質と反物質が交差する瞬間(とき)こそ、わかった瞬間(とき)なのである。
“しまった!”がその合図だった。