(その八)対消滅の奇跡

リスボンに向かっていた青年が、上空からジブラルタル海峡を鳥瞰していた瞬間(とき)だった。
ポルテラ空港に着陸のための最後のアプローチをするために、機先をジブラルタル海峡上空で反転しようとしていた矢先のことだった。
『しまった!』
パリに向かっている日本人女性が、上空から津軽海峡を鳥瞰していた瞬間(とき)だった。
シベリアのツンドラ地帯に向かうため、機先を津軽海峡で西90度へ切り替えた矢先のことだった。
『しまった!』
地球上で起こることは、すべて、二元論的原点に起因する。
地球が楕円球体であることがその理由だ。
逆に言えば、真円球体などという代物は宇宙には存在し得ないとも言える。
ある場所で起こったことは、必ず、別の場所でも同時に起こっているのである。
正物質と反物質の存在はまさにその証明だ。
X粒子の正物質と反物質が衝突すると光が誕生する代わりに、X粒子は共に消滅する。
いわゆる対消滅という現象である。
更に、有の世界と無の世界が牛車の両輪のようになって存在していて、その間を架け橋する軸をタイム・トンネルと言う。
有の世界が運動の世界だ。
無の世界が静止の世界だ。
運動の世界は生きている世界だ。
静止の世界は死んでいる世界だ。
リスボン上空で『しまった!』と感じた青年の想いが、京都の六波羅で藤堂頼賢が同じように想っていたことの反物質だったのである。
津軽海峡上空で『しまった!』と感じた女性の想いが、京都の東山三条で恵美子が同じように想っていたことの反物質だったのである。
物体だけが物質ではなく、精神も物質である証明だ。
対消滅した物質がタイム・トンネルを通って無の世界に還る。
それが、いわゆる死だ。
対消滅した物質がタイム・トンネルを通って有の世界に還る。
それが、いわゆる誕生だ。
それ故に、誕生はなくて、死だけがある。
それ故に、始まりがなくて、終わりだけがある。
藤堂頼賢の反物質が、恵美子の正物質と邂逅する機会が遂にやって来たのである。
恵美子の反物質が、藤堂頼賢の正物質と邂逅する機会が遂にやって来たのである。
その時の衝突が『しまった!』であった。
対消滅するためには、衝突が必ず必要だからである。