(その八)鼎の軽重

ロンドンのガトウィック空港から午後12時55分に飛び立ち、ポルトガルのリスボン空港に午後1時40分到着予定で向かっていたボーイング737型ショートレンジ機英国航空BA1811便にひとりの日本人青年が乗っていた。
一方、
成田空港から午後9時55分に飛び立ち、パリのシャルル・ドゴール空港に翌朝午前4時25分到着予定で向かっていたボーイング77W型ジェット機日本航空JL5055便にひとりの日本人女性が乗っていた。
ロンドンとリスボンとの時差は1時間ある。
成田とパリとの時差は8時間ある。
ロンドンからリスボンまでの飛行時間は1時間45分ということだ。
成田からパリまでの飛行時間は11時間25分ということだ。
日本人青年は1時間45分の間に何を思っていたのか、日本人女性は11時間25分の間に何を思っていたのか、誰も知る由はないはずだ。
わかっているのは本人だけのはずなのに、奇跡的な偶然が起こったのである。
奇跡的な偶然の根拠は、BA1811便とJL5055便がまったく同じ瞬間(とき)に離陸したことにある。
離陸した場所は、イギリスのロンドンと日本の成田の違いがあるが、離陸の瞬間は同時だったのである。
離陸とは、地球の重力に抗がって地球から分離することに他ならない。
表現を変えれば、地球号という汽車から下車することに他ならない。
ボーイング737型ショートレンジ飛行機とボーイング747型ジャンボジェット飛行機が地球号という汽車から下車したわけだが、それぞれの飛行機に乗っている客は搭乗したままだ。
奇跡的な偶然が起こる確率はここで大きく変化するはずだから、更に大きな奇跡的な偶然が起こったことになる。
こういった出来事は確率的に極めて低いが、起こり得ることは確かである。
“鼎の軽重を問う”という慣用句があるが、この“鼎”こそが、奇跡的な偶然の可能性を問うているのである。