(その七)京都の謎

恵美子は一心に六波羅通りに向かった。
平家ゆかりの建物が多い東山界隈の中でも、六波羅通りは特別である。
人間社会の縮図がこの辺りに集まっていて、さしずめ、日本の縮図とも言えるだろう。
そんな場所で、嘗て、藤堂頼賢がいざこざに巻き込まれた真只中で出くわしたことがある。
それまでの彼女の藤堂頼賢に対する想いは、男女の愛憎に基づくものだったが、この事件によって、男女の愛憎二元を超えることができたのである。
男女の愛憎二元を超えるには、いくら早くても三十代半ばから四十代前半ぐらいまで掛かるし、一生掛かっても愛憎二元から超えられない男女が圧倒的に多い。
女性の女性たる所以を超える時期、つまり、五十代になって、やっと女はその境地に達する。
男性の男性たる所以を超える時期は、個人によって大きく違うため、結局の処、男は男女の愛憎二元を超えることは殆ど不可能になる。
恵美子はまだ二十歳を過ぎた時であるにも拘わらず、榊原温泉に行く決意をさせたのである。
『藤堂はん、生きとって!』
『しまった!』
二律背反する心が収斂した究極の想いが、彼女に去来した所以がここにあったのだが、一刻の猶予もなかった。
恵美子は一心に六波羅通りに向かった。
六波羅通りは、六間程度の巾の小路だ。
東山通りは十八間もの巾の大路だから、東大路通りとも呼ばれる。
東大路通りには、桓武平氏ゆかりの邸が立ち並ぶ。
一方、
西大路通りには、清和源氏ゆかりの邸が立ち並ぶ。
いわゆる、東山に対して嵐山(西山)である。
日本が東西文化である原点がここにあるのだが、実際には、桓武平氏は西国にその威力を持ち、清和源氏は東国にその威力を持った。
帝が住する内裏からの目と、庶民からの目が逆だからである。
京都では、右は左で、左が右なのである。
しかし、西京区は西にあり、東山区は東にある。
しかも、東山区は東京区のはずである。
京都の謎がここにある。