(その七)虞美人の悲劇

三国史における項羽と劉邦の天下取りの話に隠れて虞美人の話は刺身の妻になっている。
表面上は、虞美人は項羽の妻だからだ。
恵美子はそんな虞美人に憧れた。
舞妓になった動機も虞美人に対する憧れからだった。
それ以上に項羽の男としての生き方に同調したからかもしれない。
そんな風に近頃の彼女の志操に表出していた。
藤堂頼賢に項羽の姿を重ね合わせていたからだろう。
“力は山を抜き、気は世を蓋う
 時利あらず、騅逝かず
 騅逝かず 如何にすべき
 虞や虞 汝を如何せん”
垓下の戦の中での四面楚歌は、今の藤堂頼賢の自分に対する想いと重ね合わせているのだ。
『藤堂はん、生きとって!』
『しまった!』
二律背反する心が収斂した究極の想いだ。
恵美子は実在の世界で想いを発し、藤堂頼賢は観念の世界で想いを映し出している。
絆とはまさしく、半分ずつの糸が絡み合う想いに他ならず、見果てぬ夢と化すのである。
折りしも、恵美子が先斗町の歌舞練場で舞っていた時、藤堂頼賢は泉涌寺で不可解、中国の楊貴妃を祀る観音堂と対面したのは、やはり、絆の因縁の為せる業だったかもしれない。
『うちは、虞美人でよろしおす』
一度踏み込んだ女の決意は、男のものの比ではない。
そこが、男と女の間に横たわる深淵なのかもしれない。