(その七)項羽と虞美人

倫子に声を掛けられた後の出来事に気づいた瞬間、『しまった!』と恵美子は直感した。
『いま、うちは何をしようと思ってんのやろ?』
自問できるだけでもましだ。
凡夫なら、状況に振りまわされて、七転八倒しているところだ。
相手がいれば尚更のことである。
ここでの相手は兄の聡だ。
以前の腑抜け状態の聡なら共倒れになるところだが、お互い今は大きく変わった。
『そうやわ!』
そう思った瞬間、恵美子は振りかえって、聡に言った。
「お兄さん、ごめん!」
八坂神社の方角へ走り去っていく恵美子に戸惑いながらも、聡は穏やかな気持ちで見送っていた。
四条通りから東山通りに出た恵美子は、躊躇いもなく六波羅通りの交差点に向かった。
『あの交差点に藤堂はんがきっといはるはずや!』
四条通りと東山通りとの交差点である祇園から、六波羅通りまで500メートル程度だから、急ぎ足なら10分で行ける。
デジャブ現象からまだ抜け切れていない所為か、途轍もない長い時間に感じるのは、時間と空間が混在した結果だ。
映画館の鑑賞席で舞台の壁の白いスクリーンに映っている映画との相対関係と同じメカニズムである。
『藤堂はん、生きていて!』
『神さま・・・・・・・!』
咄嗟に口走りかけたが、必死の想いで堪えた。
『自分が本当に望むものだけに想いを馳せないと・・・』
凡夫は、自分が本当に望むものに想いを馳せず、望まないものに想いを馳せる性癖を持っているようだ。
それが想いの丈という代物である。
恵美子にとっての『今、ここ』は必死の想いの丈であった。
その瞬間(とき)、凡夫でも丈凡夫になり得る。
凡人でも非凡人になり得る。
四面楚歌の中での項羽の心境と同じだった。
“力は山を抜き、気は世を蓋う
 時利あらず、騅逝かず
 騅逝かず 如何にすべき
 虞や虞 汝を如何せん”
項羽の虞美人に対する辞世の句だ。 
そうなれば、男も女もない。
却って、女の方に度胸が座る。
『藤堂はん、生きとって!』
『しまった!』
今までの出来事が走馬灯のように浮かんできた。