(その七)「都をどり」と「鴨川をどり」

「鴨川をどり」が明治8年(1875年)に創始された、京都の先斗町歌舞会が毎年5月、先斗町歌舞練場で催す先斗町の芸妓の舞踊公演であるのに対して、明治5年(1872年)、第一回京都博覧会に際して創始された、京都の祇園甲部歌舞会が毎年4月の一ヶ月間、祇園の花見小路歌舞練場で催す祇園の芸妓の舞踊公演が「都をどり」である。
おかしな話である。
同じような催しを祇園と先斗町で別々にしかも4月が「都をどり」で5月が「鴨川をどり」というわけである。
明治5年(1872年)が4月であり、明治8年(1875年)が5月というわけである。
これは一体何を意味しているのだろうか。
一見、祇園という花柳界と先斗町という花柳界のライバル同士の象徴のように思われがちだが、果たしてそうだろうか。
キリスト教カトリック派の総本山であるローマ・バチカンの71人で構成される最高法院が祇園を象徴しているなら、ユダヤ教パリサイ派の総本山であるリスボン・サンヘドリンの71人で構成される最高法院が先斗町を象徴しているのである。
つまり、
表の世界が祇園なら、裏の世界が先斗町と言える。
前衛が祇園なら、本隊が先斗町と言える。
州崎を意味する先斗(ぽんと)とはまるで逆だ。
祇園は先斗町のしょせん前衛なのである。
ローマ・バチカンはリスボン・サンヘドリンのしょせん傀儡なのである。
ローマ・バチカンの主がローマ教皇なら、リスボン・サンヘドリンの主は一体誰なのか。
その答えが、今年の「鴨川をどり」で披露されたと言ってもいいだろう。
若者を大事にする町の代表に、先斗町の芸妓である春若、すなわち、恵美子が選ばれたのは深い意味があったのである。