(その七)京の若者

恵美子が京都という町をこよなく愛している理由があった。
1200年の都を誇る町は、恵美子にとって何の誇る理由にもならなかった。
藤堂頼賢が以前言っていたことを思い出した。
「1200年のあいだ都であり続けたのが京都の誇りやったら、トルコのイスタンブールという町は1600年以上、東ローマ帝国、神聖ローマ帝国、オスマントルコ帝国の都であり続けたんやで・・・そんなんたいしたことあらへんわ」
彼女が京都を誇りに思ったのは、若者を大事にしたことだった。
勤王の志士と呼ばれた連中を育てたのは、江戸ではなく京だったという伝統と誇りが、明治以降、現在に至るまで、若者を大事にする所以だった。
学生運動の元祖は東京大学のように思われているが、実は、京都大学であった証明は、その後の京都大学卒業生の就職に大きな障害となっていたことが物語っている。
現在の仮の都である東京は、若者を目の敵にする町であるのと対象的であった。
明治維新の芽は京都で生まれたにも拘わらず、明治維新の神輿に乗っかっただけの明治天皇は、江戸行幸のどさくさに紛れて、済し崩しの既成事実として江戸を都にしてしまった。
ところが崩御すると、伏見桃山に巨大な御陵を建造した。
京都という町を愚弄するのも程がある。
藤堂頼賢のような若者は東京から絶対に輩出しない。
そんな京都という町と、京都で生まれ育った藤堂頼賢という青年を、恵美子は愛したのである。