(その七)走馬灯の警鐘

『「治天(ちてん)の君」って一体なんやねん?』
藤堂頼賢にとって最も重要な言葉であったことを、まだ知る由もなかったが、そのヒントに感づくだけの感受性は持ち併せていたようだ。
花の御所の中心に金閣寺が建てられた。
室町幕府三代将軍、足利義満が貞子に言った、『まず一手を打てたのう!』は何を意味するのであろうか。
貞子は義満によって女官としては最高の位を賜った。
徳川三代将軍家光と春日局との関係に酷似している。
後小松天皇の母である皇太后が厳子であり、厳子の姉である貞子は朝廷の女人を悉く品定めをしてから義満に献上していたのである。
その献上の方法が義満に大いに気に入られた。
永年続いた貞子と厳子との三つ巴の閨事を、目ぼしをつけた女人に覗き見させるのである。
上皇の后とその姉が絡む情交を見せられた女人は大胆になり、情交の仲間入りをする。
そして二人の前で義満に味見されるのである。
最初は貞子との閨事だったのが、その後厳子が加わり、そして按察局(あぜちのつぼね)と悉く上皇の愛妾が義満の女人天国の住人になっていった。
まさに、その情景は男冥利に尽きる天国であった。
それを演出していたのが、後光厳天皇に捨てられた貞子であったということは、歴史の裏の話とはいえ余りにもドロドロしたものである。
そして義満は精力家としてだけではなく、政治家としても大きく育っていくのである。
まず手始めに、義満は自分に反抗的な公家をいじめ抜くことをした。
その餌食にされたのが西園寺、久我、葉室の御三家である。
特に西園寺家は武家申次(もうしつぎ)という、その後徳川時代まで続く武家伝奏(でんそう)である朝廷と幕府間の外交官であった。
武家申次はあくまで朝廷側から見た対幕府外交官であったが、義満は西園寺家からその職を奪い、幕府側に立った外交官である武家伝奏を設けたのである。
そして徐々に西園寺家の力を削いでいき、遂に北山第と呼ばれる義満の象徴である金閣寺を、西園寺家の領地を奪って建てるのである。
自分の愛妾を義満が悉く寝取っていることを知って、上皇は最初激怒した。
況してや后である三条厳子まで、その中の一人だと言う。
上皇は武家申次である西園寺実俊にことの真相究明を命じた。
さすがの義満も事実関係を認める訳にはいかなかった。
「噂話とは言え、そのような恐れ多いことなど出来ようがござらん」
義満の弁明は、武家申次の実俊も信じることが出来ない程、ふてぶてしいものであった。
最初は義満の弁明をまともに受け、上皇の怒りは一旦収まった。
義満がそこで自重すればよかったのだが、上皇の愛妾たちとの情交を一向に控えなかった。
そして上皇が最も寵愛する按察局(あぜちのつぼね)に義満は遂に手を出した。
更に事態を悪くしたのは、上皇のお召しに対して按察局(あぜちのつぼね)が、体調が良くないからと言って断ったのである。
その話を聞いた義満は、貞子に自慢げに言った。
「よほど上皇の閨事は女人たちを満足させることが出来ぬらしいのう・・・」
「それは仕方ないことです。帝の閨事は女人が帝を一方的に満足させるだけで、あなた様のように、女人を天国に連れて行って下さるようなことをご存知ないのです。女人にとって、これほど辛いことはございませぬ。あなた様に女人の喜びを教えられた按察局殿が断られるのも無理からぬことです」
義満は『したり!』と内心ほくそ笑んだ。
頭に来た上皇は再度西園寺実俊に義満のところへ行かせた。
「左大臣殿。噂は本当ですね?上皇に、そう言上しても差し支えございませぬな?」
強気に言った実俊は、義満の不興を買った。
「実俊殿。そなたの妻殿は何という御名でありましたかな?」
西園寺実俊は、義満が鬼のような顔をして笑うのを見て震撼したが、すでに遅かった。
黙っている実俊に、義満は命令口調で言った。
「御名はどうでも構わぬ。今宵、わたしの寝床に来させるように。よろしいな!」
ニタッと笑って言う義満に、実俊は完全に牙を抜かれてしまった。
「はい。承知仕りました」
と答えるしかできなかったのである。
その後、西園寺家は義満から峻烈な要求をされることになる。
西園寺までが蹂躙された上皇は完全に乱心状態になってしまった。

藤堂頼賢の記憶の走馬灯はここで止まった。