(その七)桃山御陵

「どうして明治天皇は京を捨てはったんどすか?」
恵美子が藤堂頼賢に問いかけた。
「源頼朝が、鎌倉に幕府を開いたのは、まだ許される・・・」
恵美子は肯いた。
「足利尊氏が、京都に幕府を開いたのは、帝に遠慮したから、帝のお膝下に幕府を開いたんや・・・」
恵美子は肯いた。
「ところが三代将軍足利義満が、よりにもよって、花の御所なるものを、帝のお膝下の京につくったのは、許されへん・・・」
恵美子は肯いた。
「京から花の御所を消滅させへん限り、帝は決して京に戻られることはないやろう・・・」
恵美子は躊躇った。
藤堂頼賢は間髪を入れず次の言葉を放った。
「そやから俺が、花の御所を消滅させるんや!」
『しかし、恵美子が囁いていた深草御陵とは・・・』
深草御陵は、正式には深草北陵と言い、歴代十二人の天皇が葬られている。
第89代・後深草天皇、第92代・伏見天皇、第93代・後伏見天皇、北朝第4代・後光厳天皇、北朝第5代・後円融天皇、第100代・後小松天皇、第101代・称光天皇、第103代・後土御門天皇、第104代・御柏原天皇、第105代・後奈良天皇、第106代・正親町天皇、そして第107代・後陽成天皇である。
『変やなあ!』
藤堂頼賢は思った。
『許せん!』
藤堂頼賢は思った。
泉涌寺は伏見桃山御陵のすぐ傍にある。
明治天皇の伏見桃山御陵は広大な敷地であり、山城の国を平安京に遷都した桓武天皇陵が、対照的にその規模の小さきを悲しんでいるかの如く、そのまた傍に佇んでいる。
現在の御所の規模に匹敵するほどの桃山御陵が、南の東につくられたのは一体何故であろうか。
今出川通りと丸太町通りに挟まれたところに今の御所はあるが、元々の御所は、御池通りと丸太町通りの間で、しかももっと西にあったと言われている。
京都から東京に遷都したのが明治天皇であり、その明治天皇の御陵が京都にある。
そして御所と同じ規模の御陵が、南の東に位置する伏見に造られた。
『変やなあ!』
藤堂頼賢は思った。
『許せん!』
藤堂頼賢は思った。
それもやはり恵美子にとって否定的な青い炎だった。