(その七)深草御陵

赤い炎が恵美子には肯定的に見えた。
青い炎が恵美子には否定的に見えた。
過ぎ去った光景は青い炎に包まれて見え、未だ来ぬ光景は赤い炎に包まれて見える。
無機的な反応である。
男が過去に拘る所以であり、女が未来に執着する根拠である。
しかし、有機的な反応をする能力を具えているのが、人間の人間たる所以なのだから、赤い炎も見え、青い炎も見えるのが人間の人間たる根拠になるわけである。
七色の虹がある。
人間の視覚だけが捉え得る現象だ。
虹は他の生きものには捉え得ない。
他の生きものと会話できないことは、すべて未知の事になってしまうのが、人間社会であるらしいが、二つの肉体が一つに合体した瞬間(とき)に限って、虹は赤い炎を青い炎に収斂してしまい、動物の世界に包含されてしまう。
肉体だけのクライマックスであり、心身のオルガスムへと駆け上って行く。
プラーナという生命エネルギーが螺旋状に身体の中を駆け巡る様を表象すると共に、脊髄の周りを上下するクンダリーニという最も精妙なエネルギーも表現している。
それが、首筋に稲妻が走っていく現象である。
殆ど着物姿である恵美子が、突然バスローブ姿で藤堂頼賢の前に現れた。
「うちは本気どすえ」
藤堂頼賢は言葉を発せない。
「・・・・・・・・」
「フランクフルトはパリに近いんどすか?」
「飛行機で1時間ぐらいや」
藤堂頼賢はやっと口を開いたが、内心仰天していた。
『行くしかない!』
彼の首筋にも稲妻が走ったが、いつもと違って心地よい感触に陶酔するのだった。
泉涌寺での出来事が脳裏を走る。
彼は、泉涌寺まで歩いて行った。
京都という町は、北と南で様相が激変する。
まわりが山で囲まれた盆地であるのに、東と西でも様相が変わるが、南北の変化の比ではない。
上流階級社会が北の地に住み、下層社会が南の地に住むという習慣は、ここにも生きている。
いや、ここから発祥したと言ってもいい。
陽が出る東の果てか、陽が沈む西の果てか。
同時発祥と言えなくもない。
北の上流社会、南の下層社会が、世界各地で定着している。
山手と海手の違いも南北差から誕生した。
東西冷戦はイデオロギーの対決に対して、南北問題は差別問題である。
『では、どうして泉涌寺は、北の金閣寺に対して南にあるのだろうか?』
その瞬間(とき)、恵美子が囁いた。
『深草御陵、深草御陵、深草御陵』と小さく囁く。
それは恵美子にとって否定的な青い炎であった。