(その六)恐るべき史実

石上神宮に祭られているのは、フル(布留)、フツ(布都)、フツシ(布都斯)と呼ぶ神である。
奈良時代の末期に編纂された4500首にのぼる万葉集の歌の中で、「袖ふる山」として歌われている石上神宮は、聖徳太子と蘇我馬子によって滅ぼされた物部氏の本拠地である。
石上神宮の本殿に祀られている主祭神が布留御魂大神と呼ばれていることから、この辺りをフル(布留)と言い、神社の後ろにある山も布留山(ふるやま)という名で、そこから「袖ふる山」と歌われた。
フル(布留)の父が、出雲一族の祖である須佐之男命であり、フル(布留)も、神武天皇が大和朝廷を開く前に、この地を治めていた大王であったことが、日本書紀にも書かれてある。
石上神宮で、毎年11月22日に鎮魂祭が催される。
この鎮魂祭が史実に首をかしげさせる催しだ。
主祭神の布留御魂大神、布都御魂大神、布都斯御魂大神の他に摂末社に祀られているのが、フル(布留)の長男の宇摩志麻治命(ウマシマチノミコト)、五十瓊敷命(イニシキニミコト)、白川天皇、木事命(コゴトノミコト)、市川臣命(イチカワノオミノミコト)と八神いる。
この八神を鎮魂する為に、1081年に、白川天皇がじきじき参拝し始めたものである。
鎮魂するということは、祟りを恐れているから鎮魂する訳で、何故、この八神の祟りを恐れたのか、史実でははっきりしていない。
神社の宮司を代々している石川氏は、八神の一人で初代の宮司である市川臣命(イチカワノオミノミコト)の末裔だ。
そして木事命(コゴトノミコト)は、市川臣命(イチカワノオミノミコト)の父であり、春日臣(カスガオミ)一族であった。
春日臣(カスガオミ)は、第五代考昭天皇の子である、彦天帯国押入命(ヒコアマオビクニオシイリノミコト)の末裔と由緒ただしい天皇の血を引いた一族であったが、天武天皇の妃で、天智天皇の娘である持統天皇によって、春日臣(カスガオミ)の系図を没収されたという事件があった。
天武天皇は、物部、海部(あまべ)、尾張という、出雲王朝系の一族の支援を受けて、天智系から王朝を奪った天皇なのである。
天武天皇の妃の持統天皇が、出雲、物部の本拠地である石上神宮の宮司の祖先の系図を没収することは、何を意味しているのか。
日本書紀は、天武天皇の下命によって編纂を始めたが、天武天皇が存命中には完成せず、持統天皇と藤原不比等によって完成されたものである。
日本の公式歴史書である「記紀」の一つである日本書紀は天智朝の意図が働いたものなのだ。
天武天皇は、聖徳太子の血を引いていると言われている。
そして、現天皇家は、天智朝の流れを汲んだ北朝系であることは周知の事実だ。
スコットランド人のN・マックレオドという人物が、「日本古代史の縮図」という本を1875年に横浜で出版した。
明治天皇が伏見を行幸していた際に彼は天皇とお付きの者たちの顔を見たことを詳細に記している。
「明治天皇はまさにフォン・エプスタイン家一族の顔で、周りのお付きの者たちも、江戸時代までの日本人の顔とはまるで違っていたことには驚いた」
フォン・エプスタイン家とは、ロシアのペテルスブルグを拠点にするロシア系ユダヤ人の貴族であり、アメリカの政治・経済を実質上支配している600万人のユダヤ人の頂点に立つ一族の祖先であり、相対性理論のアインシュタインや元国務長官のヘンリー・キッシンジャーは彼らの執事として働いていたのである。