(その六)国盗物語

室町幕府三代将軍足利義満は1336年から1392年までの56年間続いた南北朝時代を終焉させた。
「明徳和約」と呼ばれている。
1392年(明徳三年)
明徳和約によって、それまで、天皇の証明である三種の神器を保持していた南朝の後亀山天皇より、北朝の後小松天皇に渡され、正式に100代後小松天皇が成立し、その後、南朝と北朝とが交互に天皇になることで合意した。
一人の天皇が二回天皇位に就くことを重祚と言うのに対して、南朝と北朝とが交互に天皇になることを賎睥と言う。
しかし、その後はすべて北朝が継いできた。
近代国家となった、明治維新以後の明治、大正、昭和、そして今上天皇も、明確に北朝系だとなっている。
何故、明徳和約は守られなかったのか。
それは足利義満が、この和約を反古にしたからだ。
足利義満自らが天皇になろうとしたからだと言われている。
世に言う、室町幕府三代将軍足利義満による「皇位纂奪事件」である。
しかし、そのことで現天皇家まで、北朝系が継いできたとなると、また新たな疑問が湧いてくる。
明治維新で、徳川幕府が江戸城を無血開城した後、明治天皇が皇居として入城した際、皇居前に、楠木正成の銅像を置き、それ以後も明治、大正天皇共に吉野を訪問していることだ。
楠木正成は、後醍醐天皇側に付いて、足利尊氏と戦って討死した武将である。
南朝側に与した武将が、北朝系の天皇によって銅像にまでして称えるとは、一体いかなる意味が隠されているのか。
奈良県天理市にある石上神宮で毎年11月22日に催される鎮魂祭の儀式で、まことに奇妙な神事がある。
「一二三四五六七八九十」と唱えつつ、「布留部 布留部 由良由良都布留部」と石上神宮の保存している国宝の「十種の神宝」を持って、呪文を唱え、生命の長寿を祈るものだ。
「ひふみよいむなやこと」と唱え「ふるへ ふるへ ゆらゆらとふるへ」と唱えるのだが、これは何を意味するのか。
現在の日本語の数の読み方である、
「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつ、と」の語源になっている呪文だが、この語はヘブライ語から来ており、意味は同じ、1から10である。
聖徳太子は、中国の秦の始皇帝の末裔と言われている秦川勝や司馬達等ら渡来人を重用した。
秦の始皇帝は、騎馬民族のフン族出身であり、ちょうど同じ頃、バビロン捕囚から解放されたイスラエルの十支族が忽然と消え去った事件が起こった。
シルクロードを通って中国に渡って秦国家を建設したのが、十支族の一つのカドカイ族ではないかと言われている。
中国では国王と呼ばずに皇帝と呼ばれているが、日本でも天皇のことを帝(みかど)と呼ぶのは、このカドカイから来ているらしい。
ヘブライ語をしゃべる古代ユダヤ人から秦の始皇帝、そして秦一族、聖徳太子、そして、天武天皇は、聖徳太子の血を引いていると言われている。
天武天皇と繋がりができてくると、ヘブライ語が、当時から大和言葉に入り込んでいた可能性が十分にあったことが考えられる。
まさに、国盗物語だ。