(その六)離散の悲劇

ユダヤ教の最高権力者の集まりであるサン・ヘドリンが実質上の支配者であり、ローマバチカンは単なる傀儡に過ぎないのであれば、なぜポルトガルのリスボンにあるのか。
サン・ヘドリンはイエルサレムにあって然るべきではないのか。
イエス・キリストを十字架刑にした彼らは、その日から将来予想される悲劇を想定してあらゆる手を打ったが、それからおよそ40年後にイエルサレムはローマ軍によって破壊され、国は滅ぼされ、民は散り散りにされてしまい、それから1900年近く国の無い民として世界各国で迫害の歴史を辿ってきたのである。
1948年にやっとイスラエル国家が建設され、彼らの離散に終止符を打つことができたのである。
世に言う離散の悲劇(デァスポラ)である。
そんな中で、アドルフ・ヒットラーの迫害劇が起こったりもした。
ローマ軍によって滅ぼされたユダヤの民の多くは、地中海を渡ってイベリア半島のグラナダに辿り着いた。
当時はスペインとポルトガルの違いはなかった。
グラナダに落ち着いた彼らは、以後、1000年以上、原住民とヒスパニック系住民と共存して平和に暮らすことができた。
支配者がイスラムのウマイヤ朝になっても、ユダヤ教を信じる彼らを受け入れてくれたからだ。
ところが、11世紀にカスティリャ王国の英雄ロドリゴがウマイヤ朝を倒して、イベリア半島を奪回したことでユダヤの民に悲劇が襲ってくる。
イベリア半島の支配者がイスラム教からキリスト教に変わった結果、ユダヤ教を信仰する彼らに改宗を迫ったのだ。
キリスト教に改宗すれば従来通りグラナダで暮らすことができるが、ユダヤ教に固執すれば追放処分に遭う。
結局、彼らは1000年以上も暮らしてきたグラナダを捨てて、ピレネー山脈を越える覚悟をした。
スファラディー系ユダヤ人の誕生である。
その時、陰の最高法院であるサン・ヘドリンをイベリア半島の西端にあるリスボンに秘密裏に移した。
爾来、サン・ヘドリンの本部はポルトガルの首都リスボンに落ち着いたのである。
キリスト教圏世界への表向きの指令塔がローマバチカンならば、陰の司令塔はリスボンのサン・ヘドリンなのである。