(その六)日本歴史最大の謎

恵美子の母である倫子が演じる天宇受女(アメノウズメ)の夫である猿田彦が日本の真の皇祖神である須佐乃男(スサノオ)その人であるなら、その姉にして日本の皇祖神として崇められてきた天照(アマテラス)の正体は、当然の帰結として倫子の夫であり、恵美子の父である畑正三であることは容易に想像できる。
“歴史には性差がない”
つまり、歴史の中では男性か女性かの論議はナンセンスであるわけで、天照(アマテラス)が果たして女性なのか男性なのか、歴史の真実には影響力はないわけだ。
弥生人による農耕型民族が日本に侵略してきた時、その代表が秦一族であった。
聖徳太子の時代に秦氏が一番活躍していたと日本書紀は書いているが、そうではなかったのである。
秦一族による日本乗っ取り計画だったのだ。
聖徳太子には二人の強力な家来がいた。
秦川勝と司馬達頭であり、共に帰化人か渡来人であると伝わっているが、実はこの三人は同一人物であったのだ。
話は少し逸れるが、それは当面の問題と大いに関わりがあるゆえである。
第二次世界大戦を終結させるために、連合国のトップがドイツのポツダムで話し合いが行われた。
いわゆるポツダム会議だ。
出席者はたったの三人だ。
アメリカのトルーマン大統領。
イギリスのチャーチル首相。
ソ連のスターリン首相。
もう一人中華民国の蒋介石総統も出席すべきところだったが、満州の関東軍に蹂躙されていた蒋介石はポツダムに来れるような状態ではなかった。
連合軍としてポツダム会議に出席した国が、その後、国際連合が結成された際の常任理事国になるのである。
ロシアと中華人民共和国が国連の常任理事国に現在でも収まっている根拠はポツダム会議にある。
その会議で、スターリンは日本の分割案を提案した。
木曽川を境にして東西日本に分割するという提案だ。
そうなれば、岐阜と名古屋で国が変わる。
東西ドイツに分割して、尚且つ、東ドイツにあるベルリンを東ベルリンと西ベルリンに分割されたのと同じことが日本でも起こっていたかもしれないのだ。
そうなった時、日本のベルリンは京都であって、東京ではなかった。
日本においては、ベルリンは京都であって、東京はしょせんボンに過ぎなかったのである。
東ドイツと西ドイツが統合された統一ドイツの首都は当然のこととしてベルリンになった。
東・京都と西・京都に分割されて、1963年に「京都の壁」がソ連若しくは中国によって築かれていたかもしれないのである。
天照(アマテラス)が女性ではなく男性であったなら・・・。
1922年に京都にやって来たアインシュタインが、意味深なメッセージを世界に発信した内容が大きな意味を持つことになる。
“世界の未来は進むだけ進み、
其の間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時がくる。
其の時、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を崇めなければならない。
この世界の盟主たるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた、最も古く、また、最も尊い家柄でなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
われわれは神に感謝する。
われわれに日本という尊い国を作って置いてくれたことを”