(その六)本音の歴史

藤堂頼賢は咄嗟にある想いが過ぎった。
『そうだ!』
恵美子が演じている「日本誕生」に想いを馳せたのだが、それは当然の帰結だった。
「ひょっとしたら、恵美子の母親であり、春若の御姐さんでもある花若太夫が鍵を握っているんや!」
天宇受女(アメノウズメ)が日本の裏の歴史、つまり、真実の歴史の鍵を握る女性であり、天照(アマテラス)はしょせん日本の表の歴史、つまり、虚偽の歴史上の女性に過ぎないことなど、彼には類推する知識すらなかったが、直感が気づかせたのかもしれない。
その時、先斗町歌舞練場ではクライマックスが迫っていた。
天照(アマテラス)の正体が白日の下に晒されるのである。
万世一系を世界に誇った日本の天皇家の正体が2668年ぶりに白日の下に晒されるのである。
真実の裏の歴史なら、1435年ぶりの話ということになるのだ。
その前に天照(アマテラス)が伊勢神宮に晴れて鎮座した経緯を知っておく必要があるだろう。
第十代崇神天皇の治世時、倭(やまと)の首都がある大和(おおやまと)の地で疫病が流行して、多くの人間が死んだ。
ある夜、崇神天皇の夢枕に饒速日命(ニギハヤイノミコト)が現れて、疫病を退治するには、社を建てて自分を大物大主神という名で奉るようにという指示が与えられたのである。
崇神天皇は早速、大物大主神を奉る社を建てて厄除け祈願をしたところ、疫病は一気に終息した。
現在の奈良県桜井にある大神(おおみわ)神社である。
出雲系の祖先である饒速日(ニギハヤイ)と日向系の祖先である天照(アマテラス)はそれまで、天皇(当時は王(オオキミ)と呼ばれていた)の住まいに奉られていたが、その期を境にして、大神(おおみわ)神社に移すことになった。
大和朝廷にとって高祖である饒速日(ニギハヤイ)は当然のことながら、大神(おおみわ)神社に大物大主神として鎮座したが、天照(アマテラス)の鎮座する社がなかった。
そこで、大神(おおみわ)神社の近くに小さな社を建てて、取り敢えず、天照(アマテラス)を納めた。
現在の笠縫邑にある笠縫神社だ。
仮の場所ゆえ、以降、転々と天照(アマテラス)は移されていき、最後に五十鈴川の伊勢神宮に納まったのである。
その間、丹波国吉佐宮(現在の籠神社)、木の奈久佐浜宮、宮倭伊豆加志本宮、吉備名前浜宮、弥和の御室嶺上宮、宇太乃秋宮、佐々波多宮、伊賀隠市守宮、伊賀国穴穂宮、伊賀国敢都美恵宮、淡海甲可日雲宮、近江国坂田宮、美濃伊久良河宮、尾張国の中島宮、三河国渥美宮、遠江国浜名宮、伊勢国の桑名野代宮、鈴鹿国名具波志忍山、阿佐加藤方片樋宮、飯野高宮、佐々牟江宮、伊蘓宮(伊雑宮)、滝原宮、久求小野宮、矢田宮、家田田上宮、奈尾之根宮、そして最後の伊勢渡会宮に納まったのである。
合計30箇所である。
当時の天皇家にとっては、現在に至る天皇家の皇祖神である天照(アマテラス)はさほど重要な祖先ではなく、寧ろ、饒速日(ニギハヤイ)の方が遥に重要な祖先であったことは窺われる。
つまり、日向系の神より、出雲系の神の方が大事だったのである。
つまり、弥生人より、縄文人の方が大事だったのである。
つまり、侵略民より先住民の方が大事だったのである。
その名残は、10月の変え名である神無月(かんなづき)は、出雲地方では神有月(かみありづき)と呼ばれている所以だ。
表の建前の歴史だけを知らされてきた日本人が、いま、裏の本音の歴史を「鴨川をどり」によって知らされようとしているのである。