(その六)明治の陰

島崎藤村の「破戒」でこんな件がある。
“哀憐(あわれみ)、恐怖(おそれ)、千々の想いは烈しく丑松の胸中を往来した。
病院から追われ、下宿から追われ、その残酷な待遇(とりあつかい)と恥辱(はずかしめ)とをうけて、黙って舁がれて行く彼(あ)の大尽の運命を考えると、さぞ籠の中の人は悲慨(なげき)の血涙(なみだ)に噎んだであろう。
大日向の運命はやがてすべての穢多の運命である。
思えば他事(ひとごと)ではない、
長野の師範学校時代から、この飯山に奉職の身となったまで、よくまあ自分は平気の平左で、普通の人と同じような量見で、危ないとも恐ろしいとも思わずに通り越して来たものだ。
こうなると胸に浮かぶは父のことである。
父というのは今、牧夫をして、烏帽子ヶ嶽の麓に牛を飼って、隠者のような寂しい生涯を送っている。
丑松はその西乃入牧場を思い出した。
その牧場の番小屋を思い出した。
「阿爺(おとつ)さん、阿爺(おとつ)さん」
と口の中で呼んで、自分の部屋をあちこちと歩いて見た。
不図父の言葉を思い出した。
はじめて丑松が親の膝下を離れる時、父は一人息子の前途を深く案じるという風で、さまざまな物語を聞かせたのであった。
その時だ ― 一族の祖先のことも言い聞かせたのは。東海道の沿岸に住む多くの穢多の種族のように、朝鮮人、支那人、露西亜(ろしあ)人、または名も知らない島々から漂着したり帰化したりした異邦人の末とは違い、その血統は古(むかし)の武士の落人から伝わったもの、貧苦こそすれ、罪悪の為に穢れたような家族ではないと言い聞かせた。父はまた添付(つけた)して、世に出て身を立てる穢多の子の秘訣 ― 唯一つの希望(のぞみ)、唯一つの方法(てだて)、それは身の素性を隠すより外に無い、「たとえいかなる目を見ようと、いかなる人に邂逅(めぐりあ)おうと決してそれとは自白(うちあ)けるな、一旦の憤怒悲哀(いかりかなしみ)にこの戒めを忘れたら、その時こそ社会(よのなか)から捨てられるものと思え」
こう父は教えたのである。”
主人公の瀬川丑松は、父よりある戒めを受けて育った。
「自分の生い立ちと卑しい身分を隠して生きよ」
その生い立ちと卑しい身分は決して卑下すべきものではなかった。
ただ先住民の子として生まれたから、卑しい身分に置かれただけだったのだ。
日本という島国の特殊な地域性が生んだ人間社会の縮図のように、明治という輝かしい光の陰だと、「破戒」の著者は思ったのであろうがそうではない。
古今東西、人間社会に必ず発生する悪癖に過ぎず、地球上の陸地という陸地で必ず展開される最も醜い光景である。