(その五)偶然の中の必然

人間個人のアイデンティティーと国のアイデンティティーが一致しない国、それが明治維新後の日本だ。
『うちは、「鴨川踊り」のために帰ってきたんや!』
恵美子の目覚めが一個人の目覚めでは済まなかったことを、本人はまだ知るべくもなかったが、目覚めの縁に「鴨川踊り」が一役買っていたことは幸運としか言いようがなかった。
国のアイデンティティーを持っていない国は山とあるが、人間個人のアイデンティティーを持っていない国は極めて少ない。
個人という実在の上に成立しているのが、不在概念に過ぎない国家であるからだ。
人間個人のアイデンティティーは、原始生活をしている民族でも持っているのに対して、国のアイデンティティーは殆どの先進国において維持され得ていない。
日本という国においても然りである。
ただ、特筆すべきことは、日本という国においては、国のアイデンティティーのみならず、人間個人のアイデンティティーまでも喪失してしまっているようだ。
一億総日本人ロボット化されているわけである。
明治維新後、日本人のロボット化は着実に進められ、太平洋戦争が最終仕上げとなった。
江戸が東京となった時点で、日本の国は、支配する者も支配される者も総入れ替えされてしまったのである。
江戸に都の地位を奪われた京は、「鴨川踊り」を切り札にしてその巻き返しを図ろうとしているのであり、特に今年の「鴨川踊り」は特別の催しが企画されていた。
舞妓から芸妓に昇進して既に3年が経った恵美子は、輪違屋の代表として先斗町の歌舞会に出演することになった。
女将の増絵が先斗町歌舞会に推薦したのである。
先斗町歌舞会の重鎮たちも、春若が嘗ての伝説的太夫・花若の娘であることを承知した上での承認であった。
特別の催しに恵美子が主演するのが決まったのだが、この必然が偶然の中でのものだったのである。