(その五)復讐の念

人生は皮肉だ。
だが、今の二人はそんな感傷的なことを言っている暇はなかった。
「鴨川をどり」の舞踊劇が明日開演されるのだ。
「どんな連中が観劇に来るんや?」
「それぐらい知ってるんちゃうんか?」
恵美子は女将の増絵から何も聞かされていなかった。
「ただ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が草薙の剣で熊襲退治する場面と、伊吹山中の能煩野(のぼの)という地で死んでいく場面だけは、最も重要な見せ場であるから心して掛かるようにと言ってはった・・・」
何かに取り憑かれている様子の藤堂頼賢に、「虎」の由来が泉涌寺にあることを恵美子は思い出した。
泉涌寺は代々の天皇の位牌が安置されている天皇家の菩提寺であり伏見にあるが、第四十代天武天皇から第四十八代称徳天皇までの位牌だけはない。
第三十九代弘文天皇までと、第四十九代光仁天皇以降の位牌はある。
第三十九代弘文天皇の諱(いみな)は大津皇子と言って天智天皇の子である。
第四十九代光仁天皇の諱(いみな)は白壁皇子と言って天智天皇の孫である。
一方、第四十八代称徳天皇は第四十五代聖武天皇の子で、第四十五代聖武天皇は第四十二代文武天皇の子で、第四十二代文武天皇は天武天皇の子だ。
天武系天皇の曾孫の代までが抹殺されているのである。
その要にあるのが天武天皇だ。
「虎」の由来を知った恵美子が自分で調べてわかったことである。
様子のおかしい藤堂頼賢はその時、追想の渦中に浸っていた。

天智天皇は不治の病にかかり、だんだん病状が悪化して行く中で、天皇は病室に大海人皇子、後の天武天皇を呼ぶ。
天皇の病室に入ろうとした時、大海人皇子に心を寄せる役人がこうアドバイスをしてくれた。
「どうか、返答には充分気をつけて下さい」
病室に大海人皇子を迎え入れた天皇がこう言った。
「私にはもう先がない。私の後を弟であるおまえが継いでくれ」
その瞬間(とき)、大海人皇子の脳裏に役人のアドバイスが浮かんだ。
大海人皇子は静かな口調で返答した。
「私にはそのような気持ちはありません。僧侶となって吉野に入り、天皇の病気平癒祈願をしたいと思います」
大海人皇子はすぐに頭を剃り武器を一切返還し、妻と幾人かの息子達、そして僅かな家来と女人達だけで吉野を目指した。
この光景を見た大津の役人はこう呟く。
「野に翼をつけた『虎』を放ったようなものだ」
一日で飛鳥についた大海人皇子一行は、石舞台の近くで泊まり、すぐに吉野を目指した。
吉野に入る事は、大海人皇子にとっては大きな賭けだった。
大化の改新によって本来天皇になるべき古人大兄皇子は、弟の中大兄皇子を恐れて同じように吉野に逃れたが、結局殺されたという経緯があったからだ。
およそ8ケ月間吉野で充電した大海人皇子は、天智天皇亡き後を継承した大友皇子を中心とする大津軍を打倒するため吉野から出陣し、壬申の乱に勝利する。
日本史上において、真の天皇となった天武天皇の出発地は吉野であったのだ。

『俺の血の中に「虎」の血も混ざっているのか!』
藤堂頼賢は、恵美子を愛しく想う中で、復讐の想いが交錯していたのである。