(その五)太い糸

藤堂頼賢の名が「よりかた」で呼ばれる所以がここから来ている。
藤堂伊賀で有名な伊賀焼きには、有名な茶器が多いが、寛永年間(1624〜1644)、つまり、三代将軍、徳川家光の治世下、伊勢津藩主、藤堂高次の時代に完成されたものであるが、服部半蔵はその時大活躍した伊賀忍者だ。
藤堂家が大名として勃興したのは、安土・桃山時代から江戸時代前期で、織田信長によって滅ぼされた浅井長政、豊臣秀吉の実弟、羽柴秀長らに仕え、秀吉に召された宇和島藩主、藤堂高虎である。
伊勢・伊賀32万石の大名だ。
藤堂頼賢が、「虎」と呼ばれている真の意味はここにあったのだ。

「藤堂はんが、『虎』と呼ばれたわけが、やっとわかりおした・・・・うちと藤堂はんとは細い一本の糸で繋がってたんどすなあ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
藤堂頼賢は黙っていた。
藤堂頼賢と畑恵美子が細い一本の糸で繋がっていた、その糸とは、秦一族の血だったのである。
恵美子の父、畑正三は代々祇園祭りを差配する畑家の流れを汲み、毎年祇園祭の山鉾行進の先頭に立つ稚児の選定をする権利を有していた。
京都の事業家にとって、自分の家から山鉾行進の先頭に立つ稚児を出すことは、この上もない名誉であった。
畑正三と藤堂頼賢の父、藤堂高順(たかより)とが花若太夫について、中村屋でどんな話合いが持たれたのか、恵美子にとっては永遠の謎だったが、ひょっとしたら、その謎がひょんなことから解明されるかもしれない。
そうすれば、藤堂頼賢と繋がる糸は細い一本ではなく、太い二本になるかもしれなかった。
恵美子が榊原温泉病院へ行った謎も解ける。
藤堂頼賢は、そのことを何処まで知っているのか、恵美子は確かめたくて連絡を取ったのである。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
藤堂頼賢が沈黙を保つことは予想できたから、恵美子は必死で彼の表情を探るのだが、藤堂頼賢もまだ二十歳過ぎの若輩だが筋金入りの強者だ。
「何を俺の様子を探っているんや!」
「なんぼ探っても何も出てけえへんで!」
明日の一世一代の晴舞台を中途半端な想いで迎えるわけにはいかない恵美子も、妥協は許されなかった。
「今まで、藤堂はんに逆らったこと、いっぺんでもありおしたか?」
藤堂頼賢は神妙な面持ちで黙っていた。
「明日一体どんなことが起こるんどすか?」
「うちは、ただの人形どすか?」
「そうやおへんやろ!」
口調が激しくなっていくのを自分でもわかっていたが、抑えることはできなかった。
「藤堂はんが『虎』と呼ばれる理由は、ご先祖の藤堂高虎からとばっかり思ってたけど、もっと深い理由があったんどすな?」
藤堂頼賢の頬が引きつった。
「その謎は、泉涌寺にありおしたんか?」
藤堂頼賢の重い口が遂に開いた。