(その五)ドラマの開始(3)

「日本書紀」に描かれていることは、日本の天皇家の歴史であって、日本という国の歴史ではない。
つまり、日向一族の歴史に過ぎない。
出雲一族の歴史、阿倭一族の歴史はそこに殆ど描かれていない。
だが、「日本書紀」を編纂した連中は、出雲一族、阿倭一族のことは重々承知していたのだろう。
「日本書紀」が出雲一族の代表者として一度だけ描いた人物が饒速日命(ニギハヤイノミコト)であり、阿倭一族の代表者として描いた人物が日本武尊(ヤマトタケルノミコト)である。
饒速日命(ニギハヤイノミコト)こそが、布都斯(フツシ)の子である布留(フル)に他ならない。
現在の天理市布留町にある石上神宮の祭神が布留(フル)であり、物部氏の先祖である。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が、第十二代景行天皇の長子として「日本書紀」では描かれていることは戦前の日本人なら誰でも知っていた。
第十二代景行天皇の長子でありながら、第十三代天皇になれずに悲運の死を遂げていったのが日本武尊(ヤマトタケルノミコト)である。
第十三代成務天皇は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の弟である。
この時点で、「日本書紀」は歴史を改竄した。
日本における相続権が、それまでの末子相続から長子相続に変わったのである。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)がその煽りを食った人物であり、第十五代応神天皇がその恩恵を受けた人物なのだ。
日本という国で長子相続が慣習になったのは、第十五代応神天皇からであることがそのことを如実に示している。
現在の天皇家のルーツは第十五代応神天皇から始まると言ってもいいだろう。
その証拠が、大分県宇佐市にある八幡神社の総本宮である宇佐八幡だ。
弓削道鏡事件における和気清麻呂の宇佐八幡参拝がそのことを物語っているのである。
宇佐八幡神宮には、第十五代応神天皇、その母親である神功皇后と共に、天照大神(日霊女)が祭られている。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、実は、天皇家と何の関わりもない人物だったのであるが、「日本誕生」の皇祖神として崇拝されているのは、三種の神器の「草薙の剣」の持ち主だからである。