(その五)ドラマの開始(2)

ヤマタのオロチ成敗をした須佐乃男命(スサノオノミコト)とは、フツシに他ならなかった。
天皇家の皇祖神は天照大神と相場が決まっているが、日本建国の開祖ではない。
日本建国に関わった一つに過ぎない日向一族である。
日本建国に関わったのは、日向一族の他に出雲一族と阿倭一族がある。
現在の日本では、日向一族が九州地方、出雲一族が中国地方、阿倭一族が四国ということになる。
弥生人の流れであり侵略民族の中心は、西から東へやって来たのである。
一方、関東を中心に東北、北海道に縄文人が先住民として早くから住んでいた。
被支配民族だ。
日本という国が誕生していく過程で、日向一族、すなわち、天皇家だけに注目が集まってしまった結果、今まで見逃されてきたものがある。
ヤマタのオロチ伝説には、その秘密が隠されている。
江戸神楽で一番の出し物が「ヤマタのオロチ」であることが、如実に物語っているのだ。
恵美子は、更に、引き摺られるように、読んでいった。
【阿州の倭の国に着いた須佐之男は稲飯とその媛たちの出迎えを受けた。
稲飯には三人の媛がいて、その名を多紀理媛(タギリヒメ)、多岐津媛(タギツヒメ)、多杵島媛(タギシマヒメ)と言った。
稲飯の白い肌と青い目を受け継いだ三人の媛の美形に須佐之男の胸は高鳴った。
じっと、彼女らの顔を見ていた須佐之男はギクッとした。
『日向の貴巫女の面影がある』と思った須佐之男の心中を察したのか稲飯が須佐之男に言った。
「この媛たちは、わしと貴巫女との間に生まれた子たちだ。わしが伊謝那岐尊(イザナギノミコト)と争ったのは、わしが貴巫女に子を産ませたのが原因だ。伊謝那岐尊が娘の貴巫女を、死んだ妻の伊謝那美尊(イザナミノミコト)の代役をさせていたことは、お前も知っているであろう、兄の月読尊が憤激して日向を去ったことを。わしと貴巫女とのことを知った伊謝那岐尊は嫉妬に狂い、わしは戦い、敢えて負けこの死国に移り住んだ。そして貴巫女は、わしとの間に出来た多紀理媛を案じて、わしに託したのだ。その後、伊謝那岐尊が死んで貴巫女が女王になってから、あとの二人の媛をもうけたのだ」
須佐之男も貴巫女との間に狭依媛(サヨリヒメ)をもうけている。
「わたしも、貴巫女は実の姉ですが、貴巫女との間に媛が一人います」と正直に稲飯に言った。
「分っておる。貴巫女という女は実の父親とも、実の弟とも情を交わす。だが、それは女の本来持っている情欲の凄まじさではあるが、貴巫女ほどの女でないと出来ないことで、それだけ権力と魅力を兼ね具えているからだ」
稲飯は笑いながら言った。
「先ほどから媛たちが気に入ったようだが、わしに気遣いせずに相手にしてやってくれ、彼女らも、お前のことを気に入っているようだ」
それから、須佐之男は稲飯の下で天国のような生活を3年も過ごした。
そして多杵島媛との間に男子を三人もうけた。
二人は稲飯の許しを得て、死国の南端にある室戸(むろと)に居を構えた。
多杵島媛が最初の子を産んだ朝、室戸から陽が上がってくるのを見た須佐之男は、陽の下(ひのもと)で産まれた子として、将来この島の国を統治することを祈願して日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と名づけた。
後代、日本の国を統治する天皇家は日向家と出雲家と阿倭家の三つになるのだが、大和(おおやまと)を治めているナムチ(大国主)は、結局、日向家のイワレヒコを正式に迎え入れ、出雲家はヤマタのオロチが、阿倭家は日本武尊が治めることになる。
須佐之男とその家来ナムチとの日本建国はこうしてできあがっていったのである。
ある日、須佐之男は稲飯に申し出た。
「そろそろ、日向に行こうと思っています」
稲飯は心よく受け入れ、
「この死国は、日本の国を陰から支える国として、支国(四国)としよう」と言った。】