(その五)「日本誕生」のドラマ

古代イスラエル社会にも南北朝時代があった。
北イスラエルの首都はサマリアだった。
南ユダの首都はイェルサレムである。
中世日本社会にも南北朝時代があった。
南朝の首都は吉野だった。
北朝の首都は京都である。
イスラエルの王は三種の神器を持っていなければならない。
日本の天皇も三種の神器を持っていなければならない。
遥か1万5千キロも離れた二つの地域で、これほど酷似した慣習が継続されるには、単なる「軸の時代」だけでは片付けられない。
現代のような高度情報化社会なら起こり得る。
情報は一瞬にして、つまり、光の速度で伝達されるからだ。
原始的表現を借りるのなら、地球上での出来事は1秒間に七週半するのだから、地球の裏側での出来事も15分の1秒で地球の表側に伝わるのが現代人間社会であるのに対して、情報伝達速度が人間の早足が精一杯の当時では、地球の裏側での出来事が表側に伝わるには最低3年は掛かる。
明治維新を成し遂げた元勲たちが、欧米諸国の視察旅行をするのに3年も掛かっていたことが証明している。
大久保利通が西郷隆盛と袂を分かつ決断をした決定的要因は、この3年間の情報の乖離だった。
それまで西郷に常に従ってきた大久保利通に、西郷に背を向けさせたのは、この3年間の情報の乖離であり、二人の常識が掛け離れてしまったのである。
こんな時代で、地球の方向が180度の真裏でないにしろ、90度以上ずれた二つの地域で、まったく酷似した慣習が行われていたのは、まさに奇跡に近い。
奇跡が為されるのは神の仕業ではない。
奇跡が為されるのは人間の意志の強烈さに因る。
それだけ、二つの地域に人間の強烈な意志が発露されたからである。
一体如何なる意志が発露されたのであろうか。
ヒントは三種の神器にある。
アロンの杖と草薙の剣にある。
モーゼの十戒の石板と八咫鏡(ヤタノカガミ)が同義だ。
マナの壷と八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)が同義だ。
モーゼはアロンの杖によってエジプトからイスラエルの民を解放した。
「イスラエル誕生」である。
ヤマトタケルノミコトが草薙剣で日本という国を治めた。
「日本誕生」である。
一体どのようにしてヤマトタケルノミコトが「日本誕生」を成し遂げたのか。
もう間もなく、「日本誕生」のドラマが開演されるのである。