(その四)女のいで湯

榊原温泉は、七栗(ななくり)の湯とも言われる。
清少納言が「枕草子」の中で謳っている「三名泉」のひとつだ。

湯は ななくりの湯、有馬の湯、玉造の湯

枕草子にある「七栗(ななくり)の湯」とは、「夫木和歌抄」に載せられた二つの歌にある「一志のななくりの湯」の「一志」が榊原温泉の旧住所である一志郡を指しているからだ。
榊原温泉は「榊原」姓のルーツでもあり、室町時代に仁木利長が榊原町に築城し、地名をとって榊原姓を名乗ったのが、榊原姓のルーツと言われ、その後、三河に移った榊原氏は徳川家に仕え、徳川四天王の一人、榊原康政を輩出している。
古くから榊原温泉は伊勢神宮と関わりが深く、そのため皇族を中心とする公家文化が繁栄した平安時代で、「ななくりの湯」が榊原温泉を指し、特別な湯として尊重されていた。
他の名泉の玉造温泉、有馬温泉も、ともに天皇家と関わりが深く、神の湯としてもてはやされ、他の共通点として医薬の神、温泉の神として知られる少彦名命(すくなひこのみこと)が発見したと伝えられる伝承があるなど共通の関連性が見られる。
少彦名命(すくなひこのみこと)とは、丹後一宮で元伊勢の一つである籠神社の宮司、海部(あまべ)家の高祖でもあり、海部家の系図は国宝になっている。
榊原温泉は非常に古い歴史を誇るいで湯で、一帯は榊原断層と呼ばれる断層に当たり、その合間から被圧地下水が湧出している。
古くから霊験あらたかな地として信仰の対象となっていた。
三名泉の一つに数えられており、平安時代には既に湯治場として形が整っていた。
枕草子に記載されていたことは格好の宣伝文句であるため、開湯伝説は伝承されなかったらしい。
西暦927年に式内社の射山神社が建てられ、「神湯」とも呼ばれるようになったが、江戸時代に入って伊勢参詣が盛んになると、七栗の湯は参拝客の垢離場として機能し、伊勢の参拝客は神社の参拝前にこの七栗の湯で斎戒沐浴するのがしきたりとなり、湯治場は大いに賑わいを見せた。
このため、地元では榊原温泉のことを「宮の湯」と呼び、神聖な湯であるという自負を抱いている。
その頃、射山神社は温泉大明神と呼ばれ、大いにもてはやされた。
七栗という地名は古くから存在した村落名であり、榊原温泉の由来となった榊原という地名は、第二十六代継体天皇の頃に遡る。
継体天皇の娘、荳角媛命(ささぎひめのみこと)が斎王となり、斎宮に入ることになった際に、近くに自生していた榊を温泉水に一晩中浸し、神宮に祭祀したという伝承に因んでいる。
女の最上位にいた斎王に因んで、「女のいで湯」と云われている所以だが、温泉水がアルカリ性で婦人病に効果あることも然ることながら、そのヌメヌメした湯がスベスベした肌にすることからも、「女のいで湯」と称されている。