(その四)至福の気づき

愛する者と別れたくなかったら、別れることだ。
愛する者を憎しみたくなかったら、愛さないことだ。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、愛別離苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、求不得苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、怨憎会苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、五陰盛苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、四苦八苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、生きる苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、老いる苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、病む苦を超えることができる。
自分独りで生まれ、自分独りで生き、自分独りで死んで行くことを理解した者は、死ぬ苦を超えることができる。
人生の基本が生と死の二元論を超えることにあることを、恵美子は理解したのである。
人生の基本が生と死の二元論を超えることにあることを、藤堂頼賢は理解したのである。
この世は、矛盾だらけである。
人間はそのことに薄々感じながらも、目を逸らして生きてきた。
人間はそのことに薄々感じながらも、耳を逸らして生きてきた。
人間はそのことに薄々感じながらも、鼻を逸らして生きてきた。
人間はそのことに薄々感じながらも、舌を逸らして生きてきた。
人間はそのことに薄々感じながらも、肌を逸らして生きてきた。
その結果、自覚症状の無い五感障害者に成り下がってしまった。
その結果、自覚症状の有る五感障害者を無理やり捏造してしまった。
そして、自分たちを健常者という不在概念に過ぎない映像人間に成り下げてしまった。
「健常者」とは、障害の無い健康な人という定義らしい。
生きている者にとって健康な者など一人もいない。
何故なら、健康とは病気の不在概念に過ぎないからだ。
恵美子が榊原温泉で奇しくも経験したことは、途方もない気づきを彼女に与えていたのである。