(その四)悟りの第三歩

成人式の日にはじめて出逢った三十三間堂で久しぶりの再会を果たしたふたりは、お互い精神的に大人に成長していたことを確信した。
肉体的に大人に成長するのは、余ほどのことが無い限り時系列的な経過が可能にしてくれるが、精神的な成長は時系列な経過とまったく無関係である。
加齢と共に犯罪が減るわけではない人間社会であることが、そのことを証明している。
適正数を維持している間は表象しなくても、異常数になるとますます加齢と共に犯罪が増える兆候が表われているのが現代人間社会だ。
藤堂頼賢は自分の歩むべき道を模索するべく鹿ヶ谷哲夫に師事したが、その時、恵美子と共に歩むことを望んだ。
だが、恵美子は藤堂頼賢の望むことと反対の方向の道を結局の処は選択してしまった。
鹿ヶ谷哲夫に同じように触発された彼女だったが、男と女の本質が正反対であることを皮肉にも証明してしまったのである。
お互いの真摯な道を進もうとすると、少なくとも物理的には離れて行くことになる。
それが、男と女の宿命なのかもしれない。
それを、無理やり結婚という形で繋ぎ止める。
燃えるような恋愛をした二人が結婚するとただの夫婦になり、いつの間にか、心の中ではお互い疎んじるようになる。
これほど不幸なことはない。
これほど惨めなことはない。
それでも、男と女は結婚しようとする。
それなら、いっそのことオスとメスのままの方が気が利いている。
ふたりは、その真実に早く気がついた。
悟りとは、宗教が主張するような大袈裟なものではない。
日常の生活の中の当たり前の動作に潜んでいるものである。
悟り度が加齢度に比例しない証明である。
高齢化と少子化が織り為す相対性が、人類の今後の行方を占っているのかもしれない。
恵美子は女としての立場で占いの裏のカードを引き、藤堂頼賢は男としての立場で占いの表のカードを引く決意をしたのである。
彼らが二十代の青年であったことが、人類に幸運を齎す原因になればいいのだが。