(その三)矛盾の近代化

鹿ヶ谷哲夫の象徴的な言葉が、まさにこの時から、実証的な言葉に移っていった。
「日本の近代社会のうねりは東京から起こったのではない。
京都から起こったのである。
西欧社会なら、近代化した国の首都は近代化のうねりがはじまった地になるのに、日本という国は近代化以前の首都を近代化した以後の首都にもするという変わった国である。
江戸時代という近世の日本社会の首都は決して京都でなく、明らかに江戸、つまり、東京であった。
否定からはじまるのが進化の本質である。
人類は親への反逆によって進化してきた。
現状否定なしに進化は起こり得ない。
明治維新とは近代化革命であり、近世の江戸社会の否定からはじまったにも拘わらず、近代社会になった後も江戸が首都であり続けたのは一体何故なのか。
常識ではあり得ない。
中国の王朝は易姓革命によって誕生するのが何千年もの歴史の中での慣習だから、王朝毎に首都が変わってきた。
明治維新は明らかに徳川王朝に対する易姓革命だったにも拘わらず、徳川王朝の首都がそのまま踏襲されたのは一体何故なのか。
明治維新は徳川王朝から天皇家への易姓革命だったはずで、天皇家の首都は京都であったのに、何故徳川王朝の首都に天皇は敢えて移ったのだろうか、まったく合点がいかない。
天皇家の中での易姓革命が為されていたとするなら、天皇家の首都である京都を否定することは肯ける。
百二十五代続いた天皇家は万世一系の血筋だと言われているが、実際には何度かの易姓革命が為されている。
九代開化天皇と十代崇神天皇との間で易姓革命が為されている。
十四代仲哀天皇と十五代応神天皇との間で易姓革命が為されている。
二十五代武烈天皇と二十六代継体天皇との間で易姓革命が為されている。
三十八代天智天皇と四十代天武天皇との間で易姓革命が為されている。
四十八代称徳天皇と五十代桓武天皇との間で易姓革命が為されている。
百二十一代孝明天皇と百二十二代明治天皇との間で易姓革命が為されている。
明治維新は易姓革命だったのである」
恵美子は完全パニックに陥り、藤堂頼賢は全身を震わせていた。
「御所の段町には、後水尾天皇ゆかりの霊鑑寺という門跡がある。
後水尾天皇は徳川三代将軍、家光の妹を皇后にした天皇だ。
後水尾天皇が自分の娘、すなわち、皇女を開基として創建した寺で、代々、皇女が住職を務めたので、谷御所、鹿ヶ谷比丘尼御所とも呼ばれている。
まさに、易姓革命の攻守交代ゆかりの地が御所の段町なのだ。
となりの鹿ヶ谷・法然町には六十三代冷泉天皇の御陵、桜本陵があるし、銀閣寺寄りには五十七代陽成天皇陵があり、それらが、十四把一絡げの「月輪陵」、「後月輪陵」がある天皇家の菩提所の泉涌寺へと繋がっているのだ」
京都で生まれ、京都で育ち、京都の代名詞のような祇園の舞妓から芸妓になった恵美子ですら、京都の町の真中にこんなに多くの天皇陵があることは、流石に知らなかった。
『・・・そやのに、なんで東京に都が移ったんやろ?ほんまに変やわ・・・』
恵美子の横で藤堂頼賢は鬼の形相に変わっていた。