(その三)身内の死

「あなたは身内の死に遭ったことがあるかね?」
「はい、あります」
恵美子は鹿ヶ谷哲夫の問いかけに答えた。
「その時、哀しかったかね?哀しかった自分は、ニセモノの自分だよ」
祖母の死に涙が止まらなかった自分がニセモノだと言う。
恵美子は一瞬、鹿ヶ谷哲夫に敵意を持った。
敵意をごまかし自分を抑え込むために想いを過去に馳せさせた。
恵美子が舞妓の修行期間である「仕込み」になった十六才の時に祖母が亡くなった。
父、正三の母親ハナである。
舞妓は年少芸妓のことで、芸妓の見習い、修行段階の者を指す。
芸妓は上方だけの呼び名で、東京では芸者と呼ばれている。
舞妓も関東以北では「半玉」若しくは「おしゃく」とも呼ばれるが、舞妓は京都だけのものでは決してない。
越の国一の商いの町、福井にも舞妓はいるし、出羽の国一の商いの町、酒田でも舞妓はいる。
舞妓は古くは「舞子」と書き、戦前までは、9才から12才でお座敷に上がっていたが、戦後の法改正で、現在では中学卒業後でないと舞妓になれない。
半年から二年程度の「仕込み」期間を経て、一ヶ月間「見習い」として「だらり」の帯の半分の長さの「半だらり」の帯を締め、姐さん芸妓と共に茶屋で修行する。
座敷や舞台に上がる時は、芸妓も舞妓も白塗りの厚化粧をするが、芸妓が鬘をつけるのに対し、舞妓は自前の髪で日本髪を結い、四季の花をあしらった簪を挿す。
はじめて舞妓になった時は「割れしのぶ」という髪型で、その後「おふく」となり、芸妓への襟替え直前に「先笄」を結って、お歯黒を付ける。
芸妓への襟替えは二十歳前後が多く、恵美子が芸妓「春若」になったのも十九歳の春だった。
舞妓の時の呼び名は「春乃」だった。
成人式の「通し矢」で藤堂頼賢と出逢った前年の大晦日に、舞妓の春乃から芸妓の春若に襟替えしたのである。
母親の倫子の自分への躾があまりにも厳しかった所為か、恵美子は母親が居ながらも「お婆ちゃん子」になっていた。
祖母のハナは花柳界出の倫子を差別扱いすることなく本当の娘と同じように接した。
倫子も、花柳界出でも自分は太夫まで張った身という誇りがハナを粗末にはしなかったが、一定の距離を常に保ち、胸襟を開くことは生前にはなかった。
ハナがパーキンソン病との長い闘病の挙げ句に80才で息を引き取った時、倫子ははじめてハナの前で涙を流した。
「お婆ちゃん子」だった恵美子は、はじめて見た母親の涙に感動し、祖母に対する感謝と尊敬の念が頂点に達し、感動と哀しみが交錯した涙が溢れたのである。
十六歳というまだ純粋な心が残っている中での感動と哀しみがニセモノだと、鹿ヶ谷哲夫は断言する。
恵美子は受容することは到底できなかった。
「あなたは、今いくつかね?」
心の底を見透かした上で、更に彼女の心を掻き回すような訳のわからない質問をしてくる。
「二十一歳です」
「それでは、五年経った今でも祖母の死を哀しんでいるかね?」
「もち・・・・」と言いかけて、恵美子は黙ってしまった。
『五年前のあの哀しみをずっと持ち続けて生きてきたわけやあらへんわ・・・』
と悟ったからである。
「わたしは自分の母を尊敬していたが、その母が亡くなったのに哀しみが襲ってこないニセモノの自分を見た。だから、母が死んでから二十年経った今でもホンモノの自分が母を尊敬できるのだ」
鹿ヶ谷哲夫の言葉に衝撃を受けた恵美子は、自己の了見の狭さに腹が立った。
『うちは、身勝手なええとこ取りの生き方をしてただけやわ・・・身内の死でもええとこ取りしてたわ・・・』