(その三)家族のない社会

恵美子は鹿ヶ谷哲夫の言った「家族のない社会」が気になった。
「国家のない社会や、会社のない社会というのは、何とかイメージできるのですが、家族のない社会というのは想像もできませんが・・・夫婦中心の家族あっての祖先であり、子孫であって、家族がなければ、子孫保存という動物の基本本能の発揮しようがないと思いますが・・・」
的を射た質問も、鹿ヶ谷哲夫には想定内のものだ。
「自然社会で生きるものの生活形態、つまり、生態には二種類ある。単独生活する種類と、共同生活する種類の二つだ。単独生活する種類といっても、母親と子供はある一定期間だけ共同生活するが、それは子供が独り立ちできない期間だけで、子供が独り立ちした暁には、母親は子供を自分からも離す。これこそまさに種の保存本能が動物の基本本能である所以だ。種の保存本能とは生存本能、つまり、サバイバル本能に他ならない。言い換えれば、弱肉強食の世界が自然社会だということだ。『食う食われる世界』だとも言えるだろう。食うものは生き残れ、食われるものは生き残れない掟が厳然と働いている。そうすると、単独生活する種類が強者で、共同生活する種類は弱者ということになる。自分を食いに来るものに単独で対決できないから共同生活をするわけだ。我々人間が社会をつくる基本動機も、彼らとまったく同じ点から来ている。百獣の王と呼ばれているライオンは今でこそアフリカのサバンナにしか棲息していないが、嘗てはインドでも住んでいたんだ。インドには虎も住んでいて、しょっちゅうライオンと縄張り争いをしていたが、戦えば10回中8回は虎が勝つのでライオンはとうとうインドから追い出され、アフリカでは共同生活をする種類になったのだ。この現象は単独生活する種類が強者で、共同生活する種類が弱者であることを示唆している。人間社会の言葉で言えば、『組織』で生きる者よりも『個人』で生きる者の方が強いということになる。家族を構成して生きる人間よりも、単独で生きる人間の方が強いのだ・・・」
鹿ヶ谷哲夫の言う「家族のない社会」の方が生き残れるということはわかった。
「食う食われる」弱肉強食の世界では、当然の掟であることもわかった。
だが、それがなぜ、新しい社会は「家族のない社会」になるのか、恵美子は理解できなかった。
「進化するとは弱者が強者になることを言うのだ。従って、進化すればするほど錯覚も高じていく。何故なら、弱さが実在で強さは弱さの不在概念であるから進化する。すなわち、強くなれば強くなるほど、実在性は薄れていき、概念意識、つまり、エゴという自我意識だけが強化されていくわけで、この現象は取りも直さず、無いものねだりの錯覚に他ならない。弱肉強食の世界が進化することは、共同生活する種類よりも単独生活する種類が生き残っていくわけだから、「家族のない社会」になっていくのは必然なのだ」
極めて難解な理論に、恵美子はついていけなかった。
「強い生きものほど錯覚が酷くなっていく結果、弱い生きものが強くなっていく。要するに、強い、弱い、強い、弱いの繰り返しが起こる中で、強いも弱いも超えた世界が見えてくると仰しゃてるんや・・・」
藤堂頼賢が助け船を出してくれたが、恵美子にはますます分からなくなっていくのだった。
「家族とは、エゴの集まりに過ぎないのだ。国家がエゴの集まりのように、会社がエゴの集まりのように・・・」
鹿ヶ谷哲夫の最後の言葉が印象的だった。
『そうなんや!親や兄弟姉妹や子供や言うても、みんなエゴの代表なんや!身内なんてそんなもんやのに・・・家族なんて厄介な存在だけなんや!』
恵美子のこの気づきが彼女のその後の人生を大きく変えていくのである。