(その三)恐るべき洞察力

「差別は人間社会だけにあるものですか?」
藤堂頼賢が真剣な表情で鹿ヶ谷哲夫に質問を投げた。
「どうしてそんなことを訊くのかね?」
見透かしているように逆に藤堂頼賢に問いかけながら更に続けた。
「伏見の光と陰の問題のことかね?」
藤堂頼賢は黙って肯いた。
「陰とは暗闇のことだ。従って、光と暗闇の問題と考えればことは簡単に理解できる。我々人類は知性を得たことによって、知力を新しい武器にして地上最弱の生きものから地上最強の生きものに変身することができたが、その反対給付として「錯覚」という大きな負の遺産を抱えることになったのだ。我々の身近な中で最もわかり易い錯覚は、健康と病気に関するものだ。人間が錯覚の生きものであることを見事に証明している。我々は健康を欲し、病気を忌み嫌って生きているが、これは錯覚以外の何者でもない。あなたはそう思わないかね?」
鹿ヶ谷哲夫は恵美子に問いかけた。
突然自分に白羽の矢を立てられたが、恵美子は動揺することなく応えた。
「そうですね。わたしたちが追い求めている健康って何処にもないですね・・・」
鹿ヶ谷哲夫が標準語を使っているので、恵美子は京言葉では失礼だと咄嗟に判断した。
「その通りだ。あなたと同じ若さの大学生などまるでわかっていないが、伝統の花柳界に生きていれば、そのようなことは実体験で自らわかるものだ」
藤堂頼賢やその祖父までもが尊敬している人間に誉められることは、恐縮こそすれど、やはり嬉しいものだ。
「そんなことおへん」
つい京言葉が出てしまう。
「すんまへん」
「もう、うちって!」
止めどもなく出る。
「無理に標準語で喋る必要はないよ・・・」
優しく言った鹿ヶ谷哲夫の言葉で、恵美子は一気に緊張の糸が解れた。
「健康って病気の無い状態という考え方であって、実は病気の無い状態なんて生きている限りあり得ないですね・・・病気の無い状態を求めるなら死ぬしかないですね・・・それなのに、わたしたちが死ぬことを怖がっているのは、自己矛盾も甚だしいですね」
鹿ヶ谷哲夫は吃驚した。
『現代の若い女性がこの真理をわかっているとは・・・』
「その通りだ。二元論の本質がここある。では、貧富二元論ではどうかね?」
少々調子に乗ったお陰で、その反動が自ら襲ってきた。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
言葉が出ない。
鹿ヶ谷哲夫が優しい表情で、恵美子に助け舟を出してくれた。
「健康・病気二元論を貧富二元論に当て嵌れば、貧乏が実在するもので、富は貧乏の不在概念に過ぎないことになるわけだが、そうすると、我々人間が金の亡者になってお金を追い求めることは、病気の無い状態という健康を追い求めることと同じことになって、そんなことは不可能なことだ。それなのに我々人間はお金を何故追い求めるのだろうか」
恵美子はなるほどと思った。
「人間だけに『蓄積の概念』があるからだ。自然社会の生きものには『蓄積の概念』は一切ない。要するに、自然社会、つまり、宇宙の法則では蓄積の無い状態が常態なのだ。人間社会の言葉で言えば、貧乏が常態なのだ。逆に言えば、蓄積のある状態は、自然社会を崩壊させる危険を孕んでいるわけだ。人間社会の言葉で言えば、お金持ちの状態は社会全体を崩壊させる危険状態であるというわけだ。まさに、貧乏が実在で、富は貧乏の不在概念に過ぎないことを、自然社会は示唆しているのだ」
恵美子は鹿ヶ谷哲夫の恐るべき洞察力に感動した。