(その三)本当の人生

澄江の半生がかくも波乱に満ちたドラマであったことを知って、恵美子は人生の何たるかをようやく知った。
人は己の一生を特別なものと思ってしまう。
特別好かった人生なのか、特別悪かった人生なのか、問題はその点にあるのではない。
特別にある。
“自分”と思っている者の正体がエゴにあることの証明に他ならない。
“自分”と思っている者が、実は、本物の自分ではない証明に他ならない。
自分のことを平凡だと思える自分が、本物の自分なのである。
人は、口先では“自分は平凡な人間だ!”と言っているが、内心では、“自分は特別だ!”と思っている。
そんな自分は真っ赤な偽者の自分、つまり、エゴなのだ。
『自分はなんて不幸な人生を送ってきたんやろ!』
恵美子は思って生きてきた。
逆に言えば、
『自分だけは幸福な人生を送れるはずや!』
同じことなのである。
幸福と不幸は切り離せない代物なのだ。
ところが人間は、幸福を求めて不幸を避けてきた。
そんなことは土台不可能なことなのだ。
幸福を求め続ける限り、不幸は必ず襲ってくる。
不幸を避け続ける限り、幸福は絶対やってこない。
ところが人間は、幸福を求めて不幸を避けてきた。
その理由は、“自分は特別だ!”と思っているからである。
健康を求め続ける限り、病気は必ず襲ってくる。
病気を避け続ける限り、健康は絶対やってこない。
ところが人間は、健康を求めて病気を避けてきた。
その理由は、“自分は特別だ!”と思っているからである。
金持ちを求め続ける限り、貧乏は必ず襲ってくる。
貧乏を避け続ける限り、金持ちは絶対やってこない。
ところが人間は、金持ちを求めて貧乏を避けてきた。
その理由は、“自分は特別だ!”と思っているからである。
澄江の半生がかくも波乱に満ちたドラマであったことを知って、恵美子は人生の何たるかをようやく知った。
『みんなおんなじような経験をしてはるんやわ!』
『うち一人だけが不幸な人生を送ってきたんとちゃうわ!』
『ほんならなんで今まで、他の人もおんなじようなこと経験してはるのが、自分にはわからへんかったんやろ?』
恵美子が独り言を呟いていたのを聞いた澄江が言った。
「自分と他の人がおんなじ世界にいると錯覚しているからどっせ」
『???????』
恵美子は澄江の言ったことがまったく理解できない。
『恵美子はんにとって、藤堂はんも、家族もみんな別世界の人どっせ!あんた独りの世界どっせ!』
『???????』
「ほんなら、お腹の中にいる子供は?」
澄江に問いかけたつもりはなかったが、つい口が滑ってしまった。
「恵美子はんのお腹にいる子供も別世界の人どす!」
断言する澄江の声の迫力に、恵美子は圧倒されてしまった。
澄江の(株)松村での出来事を父の哲夫は一切知らなかったが、彼女は父から多くのことを学んでいた。
自分以外のものはすべて実在するものではなくて、単なる映像に過ぎないことも、父の哲夫から教えられた。
自分以外のものは、それがたとえ親であっても子であっても映像に過ぎないから、別世界のものなのである。
映画館の白いスクリーンに映っているものや、テレビの画面の中の映像は、自分とは別世界だということを誰もが知っているのに、周りの世界は自分と同じ世界だと思い込んでいる。
こんな錯覚に気づいていない人間とは、一体何者なのか。
澄江は、事ある毎に哲夫から教わってきた。
博の子をお腹に孕んだ時、彼女は悩み抜いた。
恵美子が置かれている状況とは比較できない程の厳しい選択を迫られていたのだ。
澄江は妻子のいる男の子を孕んでいたのだ。
恵美子のお腹にいるのは独身の男の子だ。
世間では、天と地ほどの差がある。
だが、澄江は言う。
「どれほどの違いがあるんやろか・・・大した差やおまへんな」
「女が孕んだ。ただそれだけのことやおへんか・・・孕んだお子の種が、妻子持ちなのか、独身なのか、そんなことはどうでもええことどす・・・」
「大事なのは、そのお子を女が産んで育てる気持ちがあるかどうかだけで・・・男の気持ちなんか関係おまへん!」
人間社会のルールと自然社会の掟では大きな差があることを、澄江は父の哲夫から学んで、試練を乗り越えたのである。