(その三)最悪の世紀

「さすがに祇園の芸妓さんだけあって、若いのに女性としての身嗜みを修得されている・・・大したものだ」
娘の澄江と歳が一回り以上離れている若い恵美子が、澄江と同レベルの茶の作法を身に付けていることに鹿ヶ谷哲夫は感心した。
「身嗜みとは、身のまわりについての心がけであり、頭髪や衣服を整え、言葉や態度をきちんとすることだ・・・その点においても大したものだ」
鹿ヶ谷哲夫はよほど恵美子が気に入ったらしい。
「身嗜みとは、武芸、芸能などを身につけることで、特に茶道は女性の一番大事な身嗜みだ・・・その点においても大したものだ」
「近頃の百万遍の学生は、頭髪も服装も小汚く、言葉も態度もなっとらん!」
鹿ヶ谷哲夫は、二十世紀は人間社会のみならず自然社会、つまり、地球自体にとっても最悪の世紀であったことを滔々と語り出した。
「文明社会がこの地球上で最も進化した世界のように慢心している我々人間は、地球自身にとって癌細胞のようなものだ。癌細胞であっても、必ず功罪両面を持っているわけだが、功罪二元を超えたところにその本質がある。言うまでもないが、癌細胞の本質とは異常増殖するということであり、本質が実在するから癌細胞は人間にとって病原、つまり、健康の不在概念要因と化すのだ。それが人間社会だけにある悩みや四苦八苦、挙げ句の果ての、死の恐怖となるわけだ。細胞が異常増殖することは、その肉体、つまり、有機生命体が崩れることに他ならず、それが死というものだ。死を好くないものと錯覚してきた、唯一死を知った人間は必然、細胞を異常増殖させる癌細胞を一方的に好くないものと判断してしまう。つまり、「好いとこ取り」をする。“健康が好くて、病気が悪い”と判断する、いわゆる「好いとこ取りの相対一元論」という、宇宙の法則にとっては実に中途半端な考え方が人間だけに蔓延ったわけだ。旧約聖書のアダムとイブが善悪の判断をする禁断の実を食べて追放されたエデンの園とは「自然(地球)」すなわち「宇宙」を象徴していると言っていいだろう。だが、旧約聖書は語るに落ちた。善悪の判断をする禁断の実を何故エデンの園に置く必要があるのか?善悪の判断を一切してはいけないのがエデンの園の掟なら、そもそもそんな木を置かなければいいではないか?そこで宗教が登場するわけだ。宗教者は恰かも実しやかにこう言う。“人知を超えた全知全能の神が我々人間に試練を与えるために試しておられるのです”。人知を超えた全知全能の神なら、端から完璧な人間を創造すればいいではないか?将又、宗教者は恰かも実しやかにこう言う。“それでは知性ある我々人間に成長がないから、敢えて、失敗の試練をお与えになるのです”。自己矛盾も甚だしいではないか?聖書で神の対極に悪魔を据えなければならなくなった理由は、この自己矛盾にあるのだ。自己矛盾のある全知全能の神など聞いたことがあるまい。宗教が捏造した神など所詮は不完全極まりないものだ。更に宗教は差別というとんでもない悪癖を我々人間自身に植え付けてしまった。エデンの園では善悪の判断をしてはいけないと言いながら、善悪の判断をする木をわざわざエデンの園に置いたことだ。これは宗教をつくりあげた連中の悪意が明らかにこめられている。差別をするなと言いながら差別をせよと煽動しているのだ。不条理をするなと言いながら不条理をせよと煽動しているのだ。戦争をするなと言いながら戦争をせよと煽動しているのだ。聖書で十戒というものがある。“汝殺すなかれ”と言いながら“汝殺せ”と煽動しているのだ。現に人間社会は殺し続けているではないか。“汝姦淫するなかれ”と言いながら“汝姦淫せよ”と煽動しているのだ。現に人間社会は姦淫し続けているではないか。戦後の日本教育の中で同和問題をわざわざ何も知らない子供に教えて、“汝差別するなかれ”と言いながら“汝差別せよ”と煽動してきたのだ。こういった自己矛盾が人間社会に蔓延った根源は、いわゆる「好いとこ取りの相対一元論」にあることは明白だ。それに加担したのが知性の生んだ宗教と科学であるが、その基にあるのが言葉なのだ。本質として実在する病気を悪い意味の言葉にして、病気のない状態、つまり、不在概念というそもそも実在しない健康という言葉を好い意味にしてしまったことだ。結果、我々人間は実在しない健康を追い求め、実在する病気を忌み嫌うという土台無理な無いものねだりをするようになったわけだ。悩みや四苦八苦はそうして人間だけに誕生した。仏教でいう四苦八苦の概念はまさに無いものねだりだ。愛する者と別離する苦を愛別離苦という。求めても得られない苦を求不得苦という。そんなものはそもそも苦ではないのだ。ただの無いものねだりをしているだけだ。宗教の落とし穴がここにある。“汝求めるなかれ”と言いながら“汝求めよ”と煽動しているのだ。人間社会、つまり、エデンの園を追放されて、エデンの東にあるノドという名の人間社会にどうしてこういった自己矛盾が蔓延ったのか?いわゆる「好いとこ取りの相対一元論」が原因であり、そもそも二元論の本質を理解できなかった未熟な知性に原因がある。現代社会の人間たちは、富を好いものだと、貧乏を好くないものだと思い込んでいるが、実在する本質は貧乏にあって、富は貧乏の不在概念に過ぎないのだ。富とは蓄積を持っていることだが、自然社会では蓄積を持って生きている者など誰もいまい。彼らにとってはその日の糧だけだ。明日のことなど誰も考えていまい。我々人間社会だけに「蓄積の概念」が生じたからであり、そもそも最も弱き生きものだったからだ。ところが知性という武器を得たことによって最も強き生きものになってしまった。だのに「蓄積の概念」がますます高じている。結果、人類の異常増殖、つまり、人口の爆発的な増加現象が起こり、地球温暖化といった地球環境問題が噴出するのは当然の帰結だ・・・」
恵美子は感動した。
『目から鱗とはまさにこのことやわ!』