(その三)愛憎を超えた愛

祇園の芸妓は短歌、俳句の道でも一流でなければならない。
目差すは太夫だからだ。
征夷大将軍と同じ従五位の身分に相応しい人間としての巾を要求される。
祇園の歴代太夫の中でも屈指という呼び声の高かった「花若太夫」を母として持った恵美子は、3才の時から特殊な教育を母、倫子から受けた。
その一つが詩(うた)の心の修得だった。
特に万葉集のひとつ一つの詩(うた)の心を教えられたのである。
その中でも、万葉集三大歌人の一人と言われた、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が万葉集で詠った84首の長短歌を徹底的に憶えさせられた。
藤堂頼賢と三十三間堂で初めて出逢った成人式の日の夜に、恵美子はある詩(うた)を思い出した。
二人のその後の予感を知らしめた詩(うた)が、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が詠った中にある。

来む云うも 来ぬ時あるを 来じと云うを 来むとは待たじ 来じと云うものを

あなたは来ると云っても来ない時がある、況してや、来ないと云っているのに、来るのではないかと待つことなど、もうやめよう、あなたは来ないと云っているのだから。。。

藤堂頼賢に振り回される日々の中で、恵美子が渾身の想いを籠めて彼に贈った
詩(うた)だ。
この詩(うた)は藤堂頼賢の心の琴線を揺り動かした。
恵美子の心の底の想いを受けとめることができたことも然ること乍ら、彼が一生のテーマとして抱えていた源氏の血に触れたからだ。
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)のこの詩(うた)で、心の琴線に触れられた人物が源氏の中にいたからだ。
その名は源俊恵と言う。
源俊頼の子供で、「方丈記」の著者、鴨長明の詩(うた)の師だ。
大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)の派生歌として俊恵は詠った。

来むと云いて 来ぬがつらさに比ぶれば 来じとて来ぬは 嬉しかりけり

藤堂頼賢は、恵美子に返し歌としてこの詩(うた)を贈ったことがある。
爾来、彼は自身の心の底の想いを伝える時には、詩(うた)を以って恵美子に伝える手法を採った。

季節が大きな背中をあと押しする
男は勇気を奮って愛を告げる
春のそよ風が染まった頬を撫で
女は心の窓を自ら晒し
恍惚の谷間に身を投げる
暗闇の谷間に一閃の光
男の谷間に一条の光
やがて、夏の季節がやってくる

季節が豊かな胸を轢きちぎる
女は身を投げ打ち愛を受ける
夏の夕立がちぎれた胸を押し流し
男は心の窓を自ら晒し
希望の空に身を放つ
輝く空に一閃の光
女の空に一条の光
やがて、秋の季節がやってくる

季節が満ちた心を折り曲げる
二人は命を賭けて愛し合う
秋の時雨が溶け合った二人を見守り
二人は互いの心を曝け出し
充足の海に身を捨てる
輝く海に二本の光
二人の海に二条の光
やがて、冬の季節がやってくる

季節が薄らぐ影にとどめを刺す
人は身を捨て真の愛を知る
冬の木枯らしが真の人を解き放ち
人は自我の心を暴け出し
覚醒の世界に身を任せる
静かな世界に無数の闇
人の世界に無限の闇
やがて、春の季節が還ってくる

恵美子は必死に藤堂頼賢の想いを量った。